「文化の日」

 「文化の日」(十一月三日・水曜日)、5:55.まだ夜が明けきれないから、きょう昼間の天気は知り得ない。きのうは、きょうの天気予報を聞かずじまいだった。聞かずじまいは、わが心中に宿るたぶん「晴れ」であろうという、わが例年の思いからであったろう。
 気象庁は過去の気象データを基に、文化の日前後は一年じゅうで最も雨の日が少ないという。雨の日が少なければおのずから、晴れの日が多いこととなる。加えて、晩秋のころであるから、気候的には最も穏やかで過ごしやすいことにもなる。まさしく日本社会は、文化の日にふさわしい好季節にあずかっている。
 私にとって文化の日、いや「文化」はまったくの無縁である。それでも、勤務時代にあっては祝祭日の恩恵にさずかり一日、長距離通勤者の悲哀を免れていた。ところが、この恩恵も今や、まったくの無縁である。こんなことを浮かべて、文化の日を迎えている。まるで、アホ丸出しである。しかしながら、81年生きてきて現在、私はおおむね無病息災にある。加えて、駄文であっても文章が書けている。まるで、餓鬼のこじつけだけれど、これこそわが文化と言えるものかもしれない。もちろん、文化とは言えないけれど、こんなこじつけしか浮かばないのは、わが身の無能の証しである。しかしこの恩恵は、わが身に余る果報である。
 きのうの新聞紙上のある見出しには、女性の「自殺者が増えている」という、記事があった。記事を読むことなくこれは、日本社会における異変である。これまでは相対的に男性に比べて、女性の自殺率は低く推移していたという。ところが、女性の自殺率は上がっているという記事だった。この一事だけでも現下の日本社会は、混迷いや生き続けるつらさ蔓延の最中にある。すると、のほほんと文化の日にひたっておれないわが心境である。究極のところ私は、日本国民こぞってのめでたい文化の日を望んでいる。
 夜明けの空は朝日の見えない曇り空である。でも幸いなるかな! 気象はのどかな夜明けをもたらしている。しかし、文化の日にあって日本社会は、穏やかならず混迷を深めている。文化の日にあって、女性の自殺者増からみてとれる、わがひとつの考察である。