きのうにはようやく、晩秋の好天気が訪れた。大空は天高い、胸のすく大海原模様だった。わが胸には、ワクワク感が躍った。私はバカでかいリュックを背負って、普段の大船(鎌倉市)の街へ、買い物へ出かけた。往復共に、定期路線の「江ノ電バス」(本社神奈川県藤沢市)の利用である。大船の街には午前中にもかかわらず、大勢の人出が繰り出していた。
人出の多さの理由の一つには、好天気が人々を街中へ呼び出したのであろう。加えて、もう一つの理由が浮かんだ。それは新型コロナウイルスにともなう、行動(外出)自粛を強いられていた箍(たが)が外された、最初の週末土曜日ゆえであろう。もちろん、いまだに全開とはいかないけれど、街中と人出の光景は、ようやく普段に戻りつつあると感じられた。おのずから、わが買い物行動は弾んでいた。日が替わって、きょうは十月末日(三十一日・日曜日)。
いまだに夜明け前にあって、きょうの天気がきのうに続いて、秋晴れとは予知できない。それでも、雨のない穏やかな選挙日和であってほしいと願うところはある。きょうは国政選挙の一つ、衆議院議員選挙の投開票日である。すなわち、「465」の議席を争う総選挙日である。国政選挙はやはり、自治体の首長や議員選挙とは異なり、国民こぞって一大関心事である。その投票日光景は、ことばは当を得ないけれど、日本社会の風物詩でもある。漫(そぞ)ろ歩いて、おとなが最寄りの投票所へ行き交う光景は、選挙権無くとも子どものころから、和んで見慣れてきたものである。
おとなになって選挙日になれば、よくこんな場面に遭遇する。すなわち、ひとり歩きもあれば、家族うちそろって行き交う人たちに出会う。お顔見知りであってもこの日ばかりはいつもと違って、立ち止まることなく互いに会釈を交わし合うていどである。あえて互いの胸の内をひけらかすのは野暮であり、選挙日特有のおごそかな出会いの光景である。つまり、人間にまつわるつつましい心情と言えそうである。
きのうまでの轟々(ごうごう)しい選挙戦は日を替えた投票日には静まる。さらに、のどかな選挙日和の訪れにあっては、おのずから人心は和んでゆく。私は豹変とも思える、変わりようを好んでいる。そしてなお欲深く、これにはのどかな秋日和と選挙日和のコラボレーション(協奏)を願っている。ところが午後八時になると、勝者の雄叫(おたけ)びと鬨(とき)の声(万歳三唱)が耳を劈(つんざ)くこととなる。だからであろうか時間限定の、投票日の昼間ののどかさと静寂は、いっそう快く身に沁みるものがある。
寝起きの私は、秋晴れののどかな選挙日和を願っている。しかし、いまだ知りようのない、薄闇の夜明け前にある。