わが心の赤裸々と真実を自由に思いのたけ配る本

わが心の赤裸々と真実を自由に思いのたけ配る本

遊 子  潔
 どんなに素朴で拙劣な文であろうとも、書き手の思いを親身に思い測り、誤字脱字は勿論のこと、書き手の思いをより読者にとどかせようと真剣に原稿を校正し、アドバイスしてくれるのが「自費出版」の良心である。その一言に尽きる、と私は経験者の正確な意見として、強調することができます。
 定年退職を節目に、これからは売文の徒から足を洗い、だれにも赤筆で直されない自分の思いを書く人間になろうと決意したわたしは、還暦の誕生日の退職日に、お世話になった仲間、友人たちに、ひそかに書き貯めていた文を一冊の本にして贈呈したのです。五十冊もあれば十分と思っていたところ、友人の出版印刷所の彼は、否、「百部が最低ロットだ。そのほうが経済的だし、第一、キミの交際範囲なら、贈呈、贈呈でたちどころに百冊は消えちゃうよ」と、アドバイスされて、百冊出版に同意したのでした。友人の言うとおりだった。百冊はたちどころに終り一冊手に残る。百の一しか残らなかった。
 刊行まえには自分の書斎の上にうずたかく己れが初めて出版の本をつみあげ、過ぎ越しの年月を偲ぶのか。そう思っていたわたしの判断は、消し飛んだ。これを告白するだけで、自費出版をこれからなさろうとする人、部数や価格、なによりも、せっかく出版した本をどのように配り贈呈すべきか、などなど考え迷われ逡巡しておられる人には最良の指針になると思われる。
 もともと、わたしの職業はコピーライター。だから宣伝文をすみやかに書くことに不自由はしない。しかし、宣伝広告の文章と「心の想い」を自在に書き残すのは違う。相手の担当者に四の五の言われず、書き直しさせられる慚愧もない。それこそ一つ一つの文章が忘れられぬ幼き日の宝、玩具のように愛しい。そこには、何の気取りも嘘もない。うまく書き、相手を驚かせようの企みもない。実に赤裸々で自由な自分の姿を留めることができるのだ。またそうでなくては、自費出版の意味もない。
 たまさか売文徒の先端的職業であったがために、最後の最後に自費出版によって傷ついてきた魂が救われた。知性の荒廃を放置すべきではない。この先、万が一、わたしの書きものが多くの読者に読まれることがあったとすれば、自費出版によって培われた魂への讃歌だ、と友と一夜、祝杯に、酔いたい。
現代文藝社の大沢編集長に、この原稿を依頼されたのもわたしの赤裸々な魂が氏に届いたからだと信じられる。たった一冊手に余した自費出版本を御縁にと、氏のお手許へ送った。その一冊に万感の思いをこめて──。
 多くを語るまい。「自費出版」というものは述べた総体であり、それ以上のものではない。それをわたしは疑わない。手書き手づくり、手塩にかけたかけがえのない知性を大事にする人と人が出会う心の絆の懸け橋になるだろう。しかも知性を尊ぶ出版スタッフの集う処、人間を洞察する力に優れた出版社に協力を仰ぐことが肝要だ。自費出版の夢、忘れうべきや。(「詩と掌編のコンチェルト」を真友出版より出版)