出版本に籠めた二つの思い
八 木 秀 生
『幕末維新の美女群(維新の立て役者~その歩みと女性遍歴)』と題して、平成十二年三月に四六判一四四頁の自費出版をした。
帯文には「歴史テキストより詳しくて格段に面白い ……実録体小説」と横書きし、帯文の裏には遊女、洋妾、女スパイ、茶屋娘、大奥上、勤皇芸者など第一、二章に登場の美女十数人の名前を挙げている。
その内容は、幕末の歴史記述を主体にしていて、各章節に登場する美女群は刺身の具程度にしか出没しないので、読者は「題名に謀られた」との思いを抱く人も少なくないだろう。
今日、公募雑誌などには自費出版を受け付ける大小出版社の広告が花盛りである。出版界は低迷して読者人口は減っているのに、作家や物書き志望者、そして自分史に類した出版物の書き手が大変な勢いで増えている状況がある。
私が見付けて契約した出版社は、その広告に自費出版価格一覧表を記載し、例えば原稿の頁数百で発行部数百ならいくらと出資費用が一目瞭然で有り難く、手持ち資金が極めて窮屈だった私は縋る思いで、ここへ飛びついた。
幸い、このG社の代表K女史は、私のような超小口の注文者にも懇切丁寧で、行き届いた応接をして頂き、感謝に堪えない。
注文者の私が満足の気持ちで印刷出版の幾つ物工程が順調に進んで支払いも済ませ、四月初旬に出版本は無事に完成して拙宅へ配送された。(販売や販売取次をG社は行わない取り決めである)
さて、それからは身内、親戚、元職場の先輩と同僚や卒業した小学校、旧制工業、旧制工専(現・大学)の幹事役や親しかった人達に、時間差をおいて、出版本を郵送、贈呈した。
私は最近に言われだした「パニック障害」のような頻脈症で、元の職場を随分早くに退職した。それからは親戚の冠婚葬祭や同窓会に少しも顔を出さず、従って贈呈本の送り先には、何十年も顔を合わせていない人が多くいた。
日本人男性の平均寿命まで、あと数年の所に迫っており、まして、ややこしい持病を幾つか抱えている私は、差し当り軽自動車で近所のスーパーへ買物にも行けるが医院の常連患者でもある。
今度出版した自作を、自分の生涯に比較的に関わりの深かった人びとに贈って、ひそかに自分流の“別れの挨拶”をしておこうという思いが一つにはあった。
「彼は畑違いの、こんな事をしていたのか」
「自己満足もいい所や」という人もいたかも知れず、或いは、いい恥さらしの所業だったかも知れない。
二つ目は、「あわよくばマスコミの目にとまって、作者の望む『続巻』(草稿を用意している)の発行を引き受けてくれる大手出版社の出現を待つ」という虫のよい魂胆で、出版社、新聞地方版の書評係などあちらこちらへ贈呈して少しでも多くの人に自作を読んで貰おうとした。向う見ずの愚挙に違いない。
大それた職業作家は今更望まぬにしても、志を高く掲げ、面白くて世の為になる書き物を少しでも残せたらという望みを人一倍持っている。本人は結構、大真面目だからドン・キホーテもいい所である。
後者(二つ目)は、大海に垂らした墨の一滴に似て絶望的だが、前者(一つ目)には電話、手紙、葉書などで様々な反応が続々と押し寄せた。全く応答のない人も、むろん多くいた。
まっ先に弟が、「これはあかんで」と電話で告げてきた。ふだん、山本周五郎や池波正太郎らの歴史時代小説を割合い読んでいる男である。次に岐阜の従兄弟すら口数は少なく、電話口で何やら褒め言葉を言っているようで、「全国へ通用しますか」と訊いたら「ハイ」と答えた。
この家は岐阜羽島の北にある大きな農家で、岐阜鏡島の零細織物業者の長女に生れた母の、五人いる妹の一人が嫁いだ先である。
終戦直後には都会に住む姉妹がこの家の米を目がけて、蟻の群がるように殺倒した。当時十八、九歳だった私は、母と連れ立ってリュックを背負い、何度この家へ通ったか知れない。
母も叔母達も他界し、今はこの従兄弟とも賀状を交わすだけで何十年も会っていない。
旧工専の同級生Aは、
「じっくり読ませて貰う。うちには三十歳を超えた娘が二人もいて、さっぱり嫁にいかんのや」
とパラサイト・シングルの愚痴である。Aは最大手家電のM冷機の社長を勤め上げた優秀な人物で、生駒市で悠々自適の余生を送っている。
「あんたと比べたら、大抵の若者がひ弱に見えるんやろう」と言いかけたが「お元気で」と通話を打ち切った。同僚、友人らの大方は「引き続いて力作を望む」と好意的な通信文を呉れた。
かすかな関わりを持つ当地の二、三の出版社から「スピードのある読み易さに感心」とか「ユニークな切り口です」などと好意的だが断片的な返事を貰った。私の寄稿先である京都府下の月刊文芸紙Bに、拙作の読書評が載った。書評者のS氏は、当地でよく知られた同人誌の元代表で私と面識はない。
『……巻を繙いていく内に血の臭いがしてくる。その後から脂粉の匂いがほのかに……秘話実話が目白押しで、作者の薀蓄ぶりには頭が下がるが、小説の世界を堪能させるにはもっと臨場感がなくてはならず……作者は多分実録に焦点をすえたのだろう』と適確な書評に、私は感嘆、敬服し、自戒もしている。(『幕末維新の美女群 維新の立て役者~その歩みと女性遍歴』を現代文藝社より出版)自費出版ジャーナル第27号より転載。
帯文には「歴史テキストより詳しくて格段に面白い ……実録体小説」と横書きし、帯文の裏には遊女、洋妾、女スパイ、茶屋娘、大奥上、勤皇芸者など第一、二章に登場の美女十数人の名前を挙げている。
その内容は、幕末の歴史記述を主体にしていて、各章節に登場する美女群は刺身の具程度にしか出没しないので、読者は「題名に謀られた」との思いを抱く人も少なくないだろう。
今日、公募雑誌などには自費出版を受け付ける大小出版社の広告が花盛りである。出版界は低迷して読者人口は減っているのに、作家や物書き志望者、そして自分史に類した出版物の書き手が大変な勢いで増えている状況がある。
私が見付けて契約した出版社は、その広告に自費出版価格一覧表を記載し、例えば原稿の頁数百で発行部数百ならいくらと出資費用が一目瞭然で有り難く、手持ち資金が極めて窮屈だった私は縋る思いで、ここへ飛びついた。
幸い、このG社の代表K女史は、私のような超小口の注文者にも懇切丁寧で、行き届いた応接をして頂き、感謝に堪えない。
注文者の私が満足の気持ちで印刷出版の幾つ物工程が順調に進んで支払いも済ませ、四月初旬に出版本は無事に完成して拙宅へ配送された。(販売や販売取次をG社は行わない取り決めである)
さて、それからは身内、親戚、元職場の先輩と同僚や卒業した小学校、旧制工業、旧制工専(現・大学)の幹事役や親しかった人達に、時間差をおいて、出版本を郵送、贈呈した。
私は最近に言われだした「パニック障害」のような頻脈症で、元の職場を随分早くに退職した。それからは親戚の冠婚葬祭や同窓会に少しも顔を出さず、従って贈呈本の送り先には、何十年も顔を合わせていない人が多くいた。
日本人男性の平均寿命まで、あと数年の所に迫っており、まして、ややこしい持病を幾つか抱えている私は、差し当り軽自動車で近所のスーパーへ買物にも行けるが医院の常連患者でもある。
今度出版した自作を、自分の生涯に比較的に関わりの深かった人びとに贈って、ひそかに自分流の“別れの挨拶”をしておこうという思いが一つにはあった。
「彼は畑違いの、こんな事をしていたのか」
「自己満足もいい所や」という人もいたかも知れず、或いは、いい恥さらしの所業だったかも知れない。
二つ目は、「あわよくばマスコミの目にとまって、作者の望む『続巻』(草稿を用意している)の発行を引き受けてくれる大手出版社の出現を待つ」という虫のよい魂胆で、出版社、新聞地方版の書評係などあちらこちらへ贈呈して少しでも多くの人に自作を読んで貰おうとした。向う見ずの愚挙に違いない。
大それた職業作家は今更望まぬにしても、志を高く掲げ、面白くて世の為になる書き物を少しでも残せたらという望みを人一倍持っている。本人は結構、大真面目だからドン・キホーテもいい所である。
後者(二つ目)は、大海に垂らした墨の一滴に似て絶望的だが、前者(一つ目)には電話、手紙、葉書などで様々な反応が続々と押し寄せた。全く応答のない人も、むろん多くいた。
まっ先に弟が、「これはあかんで」と電話で告げてきた。ふだん、山本周五郎や池波正太郎らの歴史時代小説を割合い読んでいる男である。次に岐阜の従兄弟すら口数は少なく、電話口で何やら褒め言葉を言っているようで、「全国へ通用しますか」と訊いたら「ハイ」と答えた。
この家は岐阜羽島の北にある大きな農家で、岐阜鏡島の零細織物業者の長女に生れた母の、五人いる妹の一人が嫁いだ先である。
終戦直後には都会に住む姉妹がこの家の米を目がけて、蟻の群がるように殺倒した。当時十八、九歳だった私は、母と連れ立ってリュックを背負い、何度この家へ通ったか知れない。
母も叔母達も他界し、今はこの従兄弟とも賀状を交わすだけで何十年も会っていない。
旧工専の同級生Aは、
「じっくり読ませて貰う。うちには三十歳を超えた娘が二人もいて、さっぱり嫁にいかんのや」
とパラサイト・シングルの愚痴である。Aは最大手家電のM冷機の社長を勤め上げた優秀な人物で、生駒市で悠々自適の余生を送っている。
「あんたと比べたら、大抵の若者がひ弱に見えるんやろう」と言いかけたが「お元気で」と通話を打ち切った。同僚、友人らの大方は「引き続いて力作を望む」と好意的な通信文を呉れた。
かすかな関わりを持つ当地の二、三の出版社から「スピードのある読み易さに感心」とか「ユニークな切り口です」などと好意的だが断片的な返事を貰った。私の寄稿先である京都府下の月刊文芸紙Bに、拙作の読書評が載った。書評者のS氏は、当地でよく知られた同人誌の元代表で私と面識はない。
『……巻を繙いていく内に血の臭いがしてくる。その後から脂粉の匂いがほのかに……秘話実話が目白押しで、作者の薀蓄ぶりには頭が下がるが、小説の世界を堪能させるにはもっと臨場感がなくてはならず……作者は多分実録に焦点をすえたのだろう』と適確な書評に、私は感嘆、敬服し、自戒もしている。(『幕末維新の美女群 維新の立て役者~その歩みと女性遍歴』を現代文藝社より出版)自費出版ジャーナル第27号より転載。