僥倖

僥倖

前田静良
 購読紙の朝日新聞紙上で、私は文豪夏目漱石さえもはじめのころは自費出版を重ねていた、という記事に目を留めた。将来、職業作家を志す人たちと、素人が著す自費出版とでは、おのずから目的とするところは、大きく異なるにちがいない。しかし、大金を費やして、生涯に1度あるかないかの自費出版を夢見る厳かな気持ちは、どんな文豪であろうと、素人にかなうはずはない。つたない文章を書きしるす私でさえ、できれば生涯一冊の自費出版の夢を片時も忘却したことはない。それほど、自分が書いた文章を製本にするという喜びは、何ものにもかえ難いものである。まして、愛しい一冊の本が、見知らぬ町の書店に並ぶということにでもなれば、魂がふるえるような満足感を得ることであろう。
 私も、この望外の望をいつの日か実現したいものだという、世間知らずの浅はかな文章活動を試みた時期があった。それは、私が現役勤務時代のことだから、いまから十年ぐらい前のことになる。私は大船(鎌倉市)の町の、日ごろ行きつけのS書店の文芸棚から、「投稿ガイド」という雑誌を手にしたのである。立ち読みでページをめくると、そこには、いろんな出版社の投稿募集広告が並んでいた。こんな雑誌が世にあったのかと、私は度肝を抜かれた。そして、大きな興味をおぼえたのである。私は投稿規程にのっとり一文をまとめて、最寄りの郵便局からS出版社あてに郵送した。初投稿を終えた帰りの私の胸中は、鐘打つように高鳴っていた。
 しばらく経って、わが家の玄関口の郵便受けに、S出版社から封書が送られてきた。吉凶、いずれか。まさに祈る気持ちである。恐る恐る開く手先がふるえている。「あなたの作品は、佳作入選」。うれしさ、ひとしおである。そして、「佳作入選でも、希望する方は単行本に掲載できます。掲載費用は1ページ……円です」。私にとって、この……円が、目を抜かれるような大きな金額であった。自分の書いた文章がわずかなページ数ながら単行本になるのだ。
 この日を境にして、私の日夜の呻吟がはじまったのである。それは、お金と夢とがからみあった、いくら悩んでも出口の見えない狂おしいまでの心の葛藤だった。妻に相談したところで、けんもほろろだろう。さりとて、へそくり、隠し金はない。
 しかし、当初の私の興奮も日が経つにつれて、落ち着いてきたのである。(たったあれだけの短い文章が、入選佳作という錦衣をまとっただけで、なぜあんなに高い金額に化けるのだろうか。土壇場になってようやく、私は理性をとりもどしていた。結局、掲載を思いとどまったのである。
 「投稿ガイド」には、現代文藝社の告知ページも載っていた。私は恐る恐る受話器を持った。女性の明るい声が、心地よく耳に届いた。私は救われた気持ちになり、初めてとは思えない気安さで、文章にかける私の思いを吐露したのである。このときになりはじめて、私はS出版社への未練を絶ち、新たな気持ちになって、現代文藝社とのご交流が始まったのである。それ以来私は、現代文藝社の目指す出版方針にたいして我が意を得て、今に至るまで、ご交流が続いているのである。
 先日のNHKテレビは、人が騙されやすいもの特集を報じていた。自費出版は、リフォームの上に位置し、第一位だった。過日、朝日新聞は、「S出版社、訴えられる」と報じた。全国の多くの書店に並ぶという約束で、自費出版に応じた4氏だったが、並んだ書店は数店に過ぎず、並べるための営業活動さえ行なわなかったというのが訴状の主因で、それは詐欺行為にあたるいう。私と現代文藝社のご交流は、はや十年近くなるが、この間、私の乏しい能力は、一編の小説すらものにできずに、拱手傍観に打ち興じている。団塊の世代の自叙伝や自費出版勧誘にしのぎをけずる業界にあって、作者よりの現代文藝社の方針および主宰者のお考えは、まさに至宝である。S出版社から鞍替えした私の決断は、大きな僥倖をもたらして、私の日常生活に大いなる潤いをもたらしてくれている。遠からず、私の夢が叶えられる日がおとずれるかもしれない。