きのう(九月二十一日・火曜日)は「中秋の名月」。わが人生は疾(と)うに黄昏時(たそがれどき)を過ぎて、やがては尽きる真っ暗闇の中にある。望んでももはや、社会貢献は一切なし。人様との会話もほぼなし。日常的に会話にありついているのは、相対する妻だけである。ところが妻との会話は、胸の透く会話にはなり得ない。互いに生きることに愚痴をこぼしては俯(うつむ)いて、むなしく声が途切れるからである。私はそばにいたたまれなくなり、さりげなく二階のパソコン部屋へ向かう。中秋の名月を肩並べて、仰ぐことはなかった。できれば共に生きて、来年は月見団子を互いの口に頬張りながら、肩を組んで仰ぎたいものだ。
秋彼岸はあすが半ばの中日で、「秋分の日」(九月二十三日・木曜日)が訪れる。その先は日を追って、肌身に沁みる「寒の季節」となる。彼岸の入り日から二日めのきのうの鎌倉の空は、秋天かぎりなく高くうららかに晴れた。わが重たい気分は、たちまち解(ほぐ)れた。私は物置から掃除用具の三種の神器(箒、塵取り、半透明のゴミ袋)を持ち出して、所定の周回道路へ向かった。側溝に汚く生えている雑草は腰をかがめて抜き取り、側壁に乱れて垂れている法面の草木は、腰を伸ばして手鎌で伐り落した。こののちは丁寧に掃いて、道路をまるで鏡面のごとく清めた。タバコを吸う身であれば、ホッと一服、紫煙をくゆらすところである。ところが、私は生まれてこのかた紫煙はまったくの未体験である。
長年、日課としてきた道路の掃除は、もはや八十一歳のわが身には汗ダクダクにまみれる重労働である。だからそのつど、先が思いやられている。汗が噴き出るままにしばしたたずんで、私は疲れ直しになんとはなしに山の天辺(てっぺん)を見上げていた。そのとき、秋晴れに誘われたのであろうか、迷い道を踏んできたのであろうか。バス通りから折れて、中年から高齢者へさしかかるくらいに見えた、ご婦人がひとりゆっくりと近づいて来た。山の天辺を見上げているわが近くに、ピタリ足音が止った。私は首をまわした。見知らぬ人はリュックを背負い、山道でも歩き易そうな靴を履き、いっぱしのハイカー姿であった。会話の口火はご婦人が切られた。
「この山の上に、何かあるのですか?」
「こんにちは。いや、山の上には何もありません。ただ、山の中には有名な『天園ハイキングコース』がめぐっています。ハイキングコースへ入るには、この先七十メートルくらいのところにある広場の奥に、のぼり口があります。ハイキングコースへ行かれるとしたら、そこからのぼってください」
「そうですか。ありがとうございました」
ご婦人はわが言葉に逆らうことなく、いくらか足取りを速めて周回道路を進まれ、ほどなくお姿はわが視界から消えた。私は腑に落ちない気分だった。完璧なハイカー姿でありながら、目指すところの当てもなく、なぜこんなところを歩いているのであろうか。普段のハイカーたちはみんな、天園ハイキングコースを目指して歩いているのに……。
それでも、わが気分は高揚していた。それはとっさの道案内が人様のためになったこと、ちょっぴりだけど出合いがしらの会話にありつけたことから得られた充足感だった。もはやわが生きる喜びとは、ざっと、こんなところ、これくらいである。普段の私は、社会貢献と人様との会話に飢えている。ところがいまや、それは叶わない。それがこのときの出会いで、ちょっぴりだけど叶い、そのためわが心はかなり満たされたのである。
伐らずに引きずり下ろした蔓(つる)の中には、小さな青みの木通(アケビ)が混じっていた。たちまち郷愁をそそられて、わが心はなお存分に満たされた。いのちを惜しむセミの何匹かが、まもなく尽きることさえ知らず、まだ声を嗄(か)らして鳴いていた。私は、わがいのちをこよなく愛(いと)しんだ。
きょうは雨の夜明けである。十六夜(いざよい)の月は見えそうにない。自然界・人間界ともに、思うようにはならずとも、せっかくのいのちを惜しんでいる。