私には途轍もなく耳に痛いことばがある。そのことばが厭なため私は、(もう止めよう、もう書きたくない)と、心中で愚痴りながらもようよう、これまで「ひぐらしの記」の継続を叶えてきたのである。このことばに出合うのは、友人や知人のなかでも普段から、飛びっきりお顔見知りの人たちである。言うなればわが日常生活を知り尽くされて、ありがたいわが応援隊にも思える人たちである。
確かに、これらの人たちのことばの投げかけにより私は、わが怠惰な心に発奮を促し、そのひとつにはこれまで、ひぐらしの記は途絶えずきた。だから、耳に痛いことばは嫌なことばの半面、ときにはおねだりしたくなるような、効果覿面のカンフル剤でもある。
先日、バスの中で思いがけない出会いがあった。そしてそれは、買い物帰りのバスの中の思いがけない一コマでもあった。この日もまたいつもとたがわず、私は背中にはパンパンに膨れ上がった国防色の馬鹿でかいリュックを背負っていた。さらにはこれまた両手にはかつてのビニール袋ではなく、今では超薄手の買い物専用の布袋を提げていた。
バスに乗ると、幸いにも長椅子が空いていた。普段であればここには座らない。なぜなら、青文字で「優先席」と大きく、表示されている。この席の一方の端には、エンジン隠しなのか? ひときわ高く狭苦しい台が設けられている。「荷物を置いてはいけない」と、書いてはない。だから、この近くに座る人たちは、おおむねこの台を目当てにして、われ先に座っている。もちろん、それを非難することはできない。なぜなら、今や日中のバスの乗客のほとんどいやすべては、優先席資格保持者である。
このときの車中はガラガラであり、私は目ざとくこの席を見据えて腰を下ろした。ふうと吐息して、安堵した。すぐに三つの買い物袋を台の上にぎりぎりに重ねた。私には優先席に座った後ろめたさがいくらかあって、正面を見ることなく俯いていた。時節柄、白いマスクがほぼ顔いっぱいを覆っていた。それになお、眼鏡をかけている。さらに両耳にはすぐに目につく、集音機を嵌(は)めていた。醜(みにく)いこれらのいでたちにも、年寄りゆえに必要悪でもあるから、もはや恥ずかしさはおぼえない。ただ一つ私には、ちょっぴり優先席に座った気まずさがあった。そしてそれは、隣の席に座る人にたいし、怯(おび)へと委縮する気分につながっていた。
俯いていたにもかかわらず、「よう、前田さん!」と、声を掛けられて、隣に人が座られた。からだを縮めいくらか席を広げて、顔を上げ視線を仕向けた。隣りに腰を下ろした人は、卓球クラブの先輩男子、石井さんだった。わが心中を騒がすいろんなことがあって、私は一年強も卓球クラブから遠のいている。
「ああ、石井さん。こんにちは、いま買い物帰りです。この台のものは全部、ぼくのものです」
「おれも、買い物帰りだよ」と言われた。けれど、買い物袋は見当たらない。突如、嫌なことばがわが耳に投げ込まれた。
「前田さんは、まだ文章を書いているの?」
これはお顔見知りの人だけが問う、実際はどうか不明だけれど、自分としてはいつも好意のことばと受け止めている。
「はい、書いています」
「そう、続いているの? 前田さんは偉いなあー。おれにはなんもないよ」
「石井さんは、あんなに卓球が上手じゃないですか。みんなのコーチ役じゃないですか。羨ましいですよ」
繰り返し「そう、まだ書いてるの? 前田さんは偉いなあー、まだ続けるんでしょ。続けたがいいよ!」
「ありがとうございます」
私はズボンのポケットからスマホを手にして、「これを開ければ、きょう書いた文章があります」。私はひねた子どものように、いくらか見せびらかし、ひぐらしの記の画面を開いた。そこにはまだ見ていなかった、高橋弘樹様の新たなコメントがあった。
「書けば、ときにはこんなうれしいコメントも出合うんですよ」
「そう、それはうれしいね。前田さん、続けたがいいよ」
石井さんは途中、ご自宅最寄りのバス停で降りられた。私はバスを降りるまで、なんだか押し売りで手に入れたような喜悦に酔っていた。
私は三つの買い物袋を持ち上げて、ヨロヨロ足でバスを降りた。命を惜しむ、季節迷いのセミが鳴いていた。