「文は孤独」ということばと並列して、「文は人なり」ということばがある。私は双方ともに体現している。目覚めて二度寝に就けず、仕方なく起き出して来た。時刻は日を替えて、まもない。壁時計の針は夜の静寂(しじま)にあっても、音無くめぐっている。これまでの私はもう長いあいだそして日々、継続の頓挫に怯(おび)えながら、たくさんの文章を書き続けてきた。大袈裟好きのわが表現を用いればその数と量は、すべてを四百字詰め原稿用紙で書き残していれば、地球の何回りとは言えないが、たぶん小型の軽トラックでは積みきれないほどであろう。もちろん、応募などの必要に応じては原稿用紙に書いた。
顧みて原稿用紙で最も多い枚数を書いたものでは、埃まみれの額縁入りの「賞状」にその証しがある。わが六十(歳)の手習いの初期の成果だけに、ちょっとだけ自惚(うぬぼ)れて、死ぬ前にいま一度だけ、日の目を当ててやりたい。「賞状 奨励賞ノンフィクション部門『少年』前田静良様。あなたは本会主宰第72回コスモス文学新人賞全国公募文芸作品コンクールにおいて頭書の成績をおさめましたのでこれを賞します 平成12年2月1日 文藝同人誌 コスモス文学の会」。
六十(歳)の手習いゆえに、確かにほんのりとする自慢がないわけではない。しかし、実際のところはそうではない。これがわが生涯における、手書き原稿の最大枚数(99枚)だったと、記したにすぎない。これ以外の多くの文章は、パソコン搭載のワード機能を用いて、かつてのフロッピーディスクに収めてきた。そしてその数は、これまた大袈裟に言えばわが胸にひとかかえもあるほどの枚数だった。ところが、これらのフロッピーディスクのすべては、もはや海の藻屑のごとくに消え去っている。ちょっとしたことばのはずみで、分別ごみ置き場に捨てられたのである。捨てた真犯人は、難産きわまりなく産み育てた、すなわち生みの親の私である。もちろん今となっては慙愧(ざんき)にたえず、かえすがえす残念無念である。
現在使用中のパソコンの起ち上げには、私は安売り量販店の「ヤマダ電気」で購入後に、初期設定等を含むすべてを、JCOMの技術者へ出張依頼をしたのである。そのとき技術者は、「フロッピーディスクは使いますか。機能は残されますか、それともなくていいですか?」と、問われた。するとかたわらの私は、「そうですね。もう、要りません」と、言ってしまった。あとの祭りである。そののちは、わがことばの祟(たた)りに見舞われている。つくづく、「わが口は、禍の元」であった。そんなこんなあんなで、このころの私は、文章を書き続けることに疲れと限界をおぼえている。
きょう(九月二十日・月曜日)は、秋彼岸の入り日である。同時に、三連休日を閉める「敬老の日」である。彼岸にあっては四十九日に満たない、亡き長兄をことさら偲び、敬老の日にあってはだれからも労(いた)われようなく、しかたなくわが身の老いをみずから労り敬(うやま)っている。六十(歳)の手習いにすぎないのに、たくさんの文章を書き続けてきたのは、わが無能をわきまえない過大の負荷だったようである。手書き原稿のコピー、あるいはフロッピーディスクを残していさえすればと、いまさらながら悔やまれるところである。なぜなら、それらを二番煎じすればこの先まで文章は、案外続くかもしれないのだ。まさしく、「後悔は先に立たず」である。
確かに、このところ私は、夢遊病者になりはてたごとくに疲れている。それはたぶん、駄文の書き疲れから生じているようである。疲れ癒しの効果覿面(こうかてきめん)の処方箋は、ちょっぴりの成果に大きく自惚れてみることのようである。なかんずく、大きく自惚れていいのではないか? 自問するのは、「ひぐらしの記」の継続である。ところが、それももはや、風前の灯火(ともしび)状態にある。まだ、真夜中である。夢遊病は、危篤状態に陥っている。