年の瀬(平成十二年)に、コンニャクが送られてきた。宅急便の人が、「印鑑、おねがいします」と、差し出された伝票には、ふるさと(熊本県山鹿市菊鹿町)の義姉の名まえが記されていた。「コンニャクを送ったからね!」。前もって、こんなメッセージがフクミ義姉から知らされていなかったので、妻と私はびっくり仰天した。そのぶん、二人はうれしさにつつまれた。「しいちゃんを、驚かしてみよう!」という、義姉の粋な魂胆であったとしたら、まさしく大当たりの演出だった。
「正月をふるさとの味で迎えなさい!」、という義姉の心が詰まったふるさと便は、とても重かった。段ボール箱を開けると、透けたビニール袋の中に入った「コンニャク」が、キラキラまぶしく見えた。丸形でわずかに茶みを帯びた、文字どおり灰色のコンニャクは、わが心の中で義姉と亡き母の面影を、すばやくよみがえらせた。箱の隙間をうめるパッキン代わりには、干しタケノコが間隙なく詰められていた。どこかしこに、義姉の心遣いが詰まっていた。それは、生前の母の荷造りのまったくの見真似だった。できるだけ母のしぐさを真似て、送ってあげたいという、優しさむき出しの義姉の心くばりに違いなかった。
義姉は、私の好物を知り尽くしていて、寸分たがわず生前の母の代役をしてくれたのである。わが心境は、いつものふるさと便を受け取る気持ちとは、異なるものだった。私は厳かな気持ちで、義姉荷造りのふるさと便を丁寧に開けた。
ふるさとで、母から義姉へ受け継がれてきた手作りのコンニャクは、これまた母の手作りと寸分たがわず丸形だった。ビニール袋から取り出し素手で持つと、コンニャク特有のぬめりが手の平に快くなじんだ。同時に、懐かしい石灰臭が鼻先を覆った。これらこそ、子どものころからわが身体に馴染んでいた、わが家のコンニャクの風合いだったのである。
関東地方(現在は神奈川県鎌倉市)で生活するようになって、店頭で初めて長方形のコンニャクを見たときの私は、コンニャクの形にかぎりなく違和感をおぼえた。具体的には長方形で平型のコンニャクは、郷愁はおろか母と義姉の姿を遠ざけていたのである。
1951年(昭和26年)、私が小学校5年生(11歳)のおり、義姉は長兄のお嫁さんとして、わが家に迎えられた。そのときの母の年齢は、48歳だった。義姉は、村内(当時は内田村と言った)の縁戚の人だった。長兄からすればおお嫁さんは、従妹違いにあたる人であり、そのため互いの家には、不断から行き来の多い付き合いがあった。縁戚の娘さん(義姉)は、長兄との結婚を境にして、はからずも嫁と姑の間柄へ様変わりしたのである。
私は、高校3年生(18歳)までをふるさと(生家)で過ごし、1959年(昭和34年)2月、大学受験のため上京した。このときこそ、親元と生家からのわが巣立ちだった。大学を卒業すると私は、東京の会社に就職し、27歳で華燭の典に恵まれた。公団の新婚者向け社宅には、埼玉県朝霞市にあったアパートの一室をあてがわれた。ところがこののち、妻の喘息症状を治すため、私は妻の実家(神奈川県逗子市)に近い現在地へ移り、そのまま終の棲家を構えている。
巣立つと同時に、生誕地内田村と生家は、他人行儀に「ふるさと」という、名に変えた。こののちの帰省は、文字どおり「ふるさと帰行」と、なりかわった。ふるさと帰行のおりに、必ず食卓に上がるものの一つは、母あるいは義姉と協働の手作りのコンニャクだった。手作りのコンニャク作りには、私も加勢した。きれいに泥を落としたコンニャク玉を納屋から運び出すと、母は一つひとつを撫でるように出刃包丁で皮を剥いた。でこぼこで武骨な皮を剥いて現れた真っ白い肌身のコンニャク玉は、大きな鍋で茹でられた。茹で上がると冷やし、適当に切断され石臼に移されて、山椒の硬い棍棒で潰された。母はそれに水を加えて攪拌し、灰汁を加えて練りまわした。こののちは、それをしゃもじですくって手の平に置き、にぎりめしをむすぶしぐさで、両の手の平の中で練りながら、一つずつ丸形のコンニャクに仕上げた。このあとは、再び大きな鍋で煮た。まさしくレシピ、おふくろの味やふるさとの味になり変わる、母手作りコンニャクの作業工程であった。これらの技法は、そっくりそのままに義姉に伝授されていた。
小太りの母は、乱れ髪をこざっぱりに結んで、首筋には汗取りようの手拭いを垂らしていた。上半身には薄手の肌着一枚を纏い、下半身には色の褪せかかった普段着のモンペをはいていた。腰回りには前掛けを結んでいた。極端に汗っかきの母は、手拭いと前掛けで、タラタラと垂れる汗を拭いていた。後継の義姉の動作も、ほぼ母同様だった。義姉のコンニャクづくりの姿は、今でも在りし日の母の姿同然であろう。
「生で、食べてみるよ」
「パパ、まだ生でだいじょうぶなの?」
「だいじょうぶだよ!」
私は、コンニャクの入った重たいビニール袋をひとかかえにして台所へ運んだ。義姉の優しさがわが身に沁み込んだ。