へんてこりんな四連休の二日目、「体育の日」にある。七月二十三日(金曜日)、大空いっぱいに彩雲が浮ぶ、のどかな夏の夜明けが訪れている。またとない、粋な天上のおもてなしである。こんな幸運にありついて、日本社会のきょうのメーンエベントには、当初の2020年から一年延びた「2021年、東京オリンピック」の開会式が予定されている。開会式に先立って行われた、女子ソフトボールと男女のサッカーにあって日本チームは、いずれも勝利でスタートを切った。先ずは、「めでたし、めでたし」の好スタートである。
東京オリンピック開幕における文字どおりの花形は、開会式模様である。ところが、このところ風雲急を告げて、開幕式に間近になって不協和音が響いてくる。門外漢の私だけれど、それでも国民のひとりとしては現在、開会式を危ぶむところにある。
東京オリンピックは、東京の名を冠する自治体・東京都が主催するものである。さらには日本の国および国民総挙げての、晴れがましい世紀の祭典である。しかしながら現下の日本社会いや世界の国々は、新型コロナウイルス蔓延の渦中にある。おのずから東京オリンピックには、暗雲が垂れ込めている。この暗雲を払うには都民のみならず、国民の協調と聡知・聡明にすがるより便法はない。ところが現下の日本社会は、新型コロナウイルス感染を防止するための、自粛や自制などの行動制限のさ中にある。言うなれば現下の日本社会は、衆人環視の様相を呈している。
こういう状況ではおのずから、だれしも気分の晴れようはない。そのためかどうか、今朝の目覚めにあってわが胸中には、こんなやるせない成句が浮かんでいた。一つは、「物言えば、唇寒し秋の風」である。私にすれば、「書けば、唇寒し秋の風」と、置き換えてみた。一つは、「触らぬ神に祟りなし」である。これには同義語として、「雉も鳴かずば撃たれまい」という、成句がまとわりついていた。すなわち、現下の日本社会の世相には、なんだかんだと窮屈なところがある。その挙句、東京オリンピックの開幕(開会式)にあっても、わが心身にはいっこうに興趣と高揚感が湧いてこない。残念無念、老境きわまりないわが加齢のせいであろうか。
確かに、それはある。その上にさらに、現下の日本社会の暗雲垂れ込む世相が重なっている。ところがこの先、暗雲は晴れようがない。おのずから私は、当たり障りのない実の無い文章を書いて、わがケチな身を守っている。
自然界は、清々しい夜明けである。今晩の開会式なって、人間界の清々しさを望むところである。「苦しい時の神頼み」だが、まったく当てにはできない。