沖縄県、戦没者「慰霊の日」

 六月二十三日(水曜日)、きょうは毎年めぐって来る日本史上における哀しい日である。すなわち、日本国民であれば必ず、一年に一度は記憶を新たにしなければならない、沖縄県において営まれる戦没者追悼の『慰霊の日』である。追悼は文字どおり哀しみ表す、「哀悼」と置き換えなければならない。今年は哀しい出来事(昭和20年・1945年6月23日)から、76年目になる。わが五歳間近のころの史実である。この日が来れば私は、メディアが伝える史実にたいし、敬虔な祈りをたずさえている。
 ところがこんな日にあって今朝の私は、極楽とんぼのことを心中に浮かべていた。恥晒しまさしく、忸怩(じくじ)たる思いである。浮かべていたのはこの時季に応じて、梅と桜の実にかかわる比較対象である。実際にはこんなことを浮かべていた。すなわち、ごく身近なところで「花でもよし、実でもよし」、まさしく二兎を追うに耐えられるものは梅と桜である。現在は共に、実の季節である。店頭には如実に、双方の実が並んでいる。梅の実の多くは、それぞれの嗜好(しこう)の梅干しや梅酒に用いられるのであろう。私の場合は甘党であり、梅酒は一滴さえ用無しである。一方、梅干しは好きでもないのに常々、子どものころの「日の丸弁当」のまんまん中にただ一つ、赤く王座を占めていた。確かに、好きではなかったけれど、今や父母を偲ぶ縁(よすが)と共に、懐郷の最上位に位置している。父の姿は梅の実千切りであり、母の姿はシソの葉干しや梅干し作りである。
 桜の実はずばり、サクランボ(サクランボウ)である。ところが梅と違って桜の実には、今なお人様の知恵や辞書に頼らなければならないところがある。以下は、ウィキペディアからの一部抜粋である。「木を桜桃、果実をサクランボと呼び分ける場合もある。生産者は桜桃と呼ぶことが多く、商品化され店頭に並んだものはサクランボと呼ばれる。サクランボは、桜の実という意味の『桜の坊』の『の』が撥音便(はつおんびん)となり、語末が短母音化したと考えられている。花を鑑賞する品種のサクラでは、実は大きくならない。果樹であるミザクラには東洋系とヨーロッパ系とがあり、日本で栽培される大半はヨーロッパ系である。品種数は非常に多く1,000種を超えるとされている。果実は丸みを帯びた赤い実が多く、中に種子が1つある核果類に分類される。品種によって黄白色や葡萄の巨峰のように赤黒い色で紫がかったものもある。生食用にされるのは甘果桜桃の果実であり、日本で食されるサクランボもこれに属する。その他調理用には酸味が強い酸果桜桃の果実が使われる」。
 これに重ねることとなるけれど、電子辞書を開けばこう記されている。「さくらんぼう」【桜ん坊・桜桃】(さくらんぼ)とも。①サクラの果実の総称。②セイヨウミザウラの果実。桜桃。「バラ科サクラ属の落葉高木。花はサクラに似るが白い。果実は「さくらんぼ」として食用。西アジア原産で冷地を好む。ナポレオン・佐藤錦などの品種がある。シヨウミザクラ(西洋実桜)。桜桃の名は、本来、中国原産の別種シナミザクラの漢名。【桜桃忌】「小説家太宰治の忌日。太宰は1948年6月13日、東京都三鷹市の玉川上水に入水したが、墓所禅林寺では6月13日に修する。『桜桃』は太宰の作品名」。
 酸っぱい梅の実は思い出や懐郷だけで十分だけれど、しわがれたほっぺたが落ちそうに甘い、サクランボは食べたいなあー!。不謹慎きょうは、沖縄戦戦没者「慰霊の日」である。書き終えて、「嗚呼、しんど」と嘆いては、御霊(みたま)に相済まない思いつのるばかりである。