記憶、それは悔恨

 物心がついて以来、心中に刻んだ記憶にはさまざまなものがある。それらの多くは、今やはるかかなたの記憶になりかけている。もちろん、思い出と言うには切ない記憶である。確かに、思い出と言いたくない。しかし良かれ悪かれ記憶が無ければ、人間としての面白味はない。言葉を変えれば悲喜交々ではあるけれど、記憶が喪失すれば人間の価値はない。
 こう豪語するかたわらにあって、矛盾するけれどこのところの私は、ときには記憶喪失もいいかな! と、思うことがある。もちろん、記憶喪失の限定が叶えば忘却を願うのは、文字どおり悲哀に満ちた記憶である。実際に喪失を願うものの唯一無比となるものは、このやるせない記憶である。すなわちそれは、わが子守どき(四歳半ころ)の不手際で、幼児(生後十一か月)のころにあって、生業の水車を回す水路に、弟を落とした悔悟に尽きる。
 私は戸籍簿の上ではたくさんのきょうだいに恵まれている。父は先妻に六人の子どもをなし、先妻病没後の後継の妻、すなわちわが母には八人をなし、つごう十四人の子沢山を得た。これらの中ではわが記憶にまったく無い者がひとり、薄っすらと記憶を留める者がひとりいる。それらは、異母きょうだいの中のふたりである。ひとりは幼児のおり、命を失くしたという。ひとりは戦争に出向いて、戦死をこうむっている。
 私はきょうだいの中では十三番目の誕生であり、命を絶った弟は短い期間だが、十四番目のしんがりを務めた。その大切な弟の命を、わが眼前で水路へ落としたのである。弟は水路を十メートルほど流れて、大きな鉄製の水車が回る輪っかに嵌まった。流れ込む水を掬って、等間隔で勢いよく回っていた水車は、ドスンと音を響かせて止まった。母屋の中から血相を変えて、母が飛び出して来た。母は弟を輪っかから引き戻し、胸に抱えて母屋に消えた。万事休す。犯人はわれひとり、目撃者もわれひとり。母は私を詰ることなく、「子守をさせて、済まなかったたいね!」と言って、詫びた。
 記憶喪失になりたいなどと、絶対にうそぶいてはいけない、わが悔恨の悲しい記憶である。このことさえなければ、わが子どものころの記憶は、総じてみなさわやかである。弟への懺悔は尽きない。もちろん、記憶では済まされない、わが生涯における尽きない悔恨である。弟はのろまの兄(私)とは似ても似つかぬ、きわめて這い這い回りの敏捷な子だった。わが多くのきょうだいにあって確かに、掉尾を飾る優れものの質をそなえていた。
 嗚呼、無念!。唯一、まったく褪せることのないわが記憶である。