またもや、寝起きの「戯言(ざれごと)」

 五月十三日(木曜日)、小ぶりの雨が降っている。早や、梅雨入りかな? と、思える夜明けの空である。おのずから鬱陶しい気分がいや増している。いや増す土台は言わずと知れた、新型コロナウイルスがもたらしている現下の日本社会の世相である。すなわち日本社会は、新型コロナウイルスのもたらすさまざまな現象の渦中にある。さまざまと書いたけれど、もちろん明るいことなどまったくなく、暗いことばかりの混乱状態にある。
 ところがこの混乱状態は、人間のだれのせいとすることはできない。おのずから、罪のなすり合いはご法度である。ひたすら人間は、新型コロナウイルスの衰えを願って、待つのみである。しかしながらじっと待つだけではやはり、人間としてはなさけない。そのため、知恵ある人間は対抗手段としてワクチンを生み出したのである。ところがワクチン接種にはおのずから、優先順位をともなう順番がある。すると人間心理は現在、接種の順番取りに慌てふためくこととなっている。
 確かに、生き続けるためにはおおむね、早い者勝ちは人みな共通の願望である。だとしたら順番取りに競争心が湧くのは、あながち身勝手と非難すべきものではない。しかしながら人間心理は、競争に負けた者は勝った者にたいし、恨みつらみを言いたがる。これにもとより、接種におけるハード(病医院や特設会場)とソフト(接種対応の医療関係者)の準備がととのわずに、接種を予約するだけでも想定外の混乱状態を招いているという。これまた、だれを責めることもできない。なぜなら現場の人みな懸命に、接種の対応に腐心されていると、メディアを通して伝えられてくる。そうであれば現在は、人間固有の節度の存在(証し)を見せるべきときであろう。
 新型コロナウイルスにかかわるワクチン接種の予約における混乱状態は、いみじくも人間に節度が有る無しやを試されている。ただ浅ましいだけではもとより、人間の価値はない。「人の振り見て我が振り直せ」。心すべき、わが寝起きの戯言(ざれごと)である。焦らず待てば、「待てば海路の日和あり」。しかし、生きるためには人みな、そうはいかないのであろう。「うべなるかな!」。
 確かに、人間はときには自分が生きるためには、浅ましい行為や行動を余儀なくする。仕方なくそれは、許されるであろう。不幸にも新型コロナウイルスは、いやおうなく人間の生きる修羅場をさまざまに見せつけている。それゆえ、新型コロナウイルスとの戦いは、人間共通の戦いである。人間の知恵が、「負けるわけにはいかない」。