戦いと闘い

 きょう・五月十二日(水曜日)から月末日(三十一日・月曜日)まで、新たな新型コロナウイルスとの闘いが始まる。この間には、予約済のわが一回目のワクチン接種が挟まっている(五月二十日・木曜日)。
 わが家とわが日常生活は、妻の腰の損傷以来、突然一変している。日本社会と国民は、優に一年を超えて新型コロナウイルスとの戦いの渦中にある。挙句、人みな気鬱な日常生活を強いられている。いやいや、こんな呑気なことは書いてはいけない。新型コロナウイルスは、日に日に多くの感染者数と、死亡者数のカウントを重ねている。もちろん、気分が滅入るところではなく、人の命が絶たれているのである。すなわち、人みな悲しい現実に晒されて、生命の維持に文字どおり懸命の闘いのさ中にある。
 現下、日本社会だけでなく人間社会は、命の存続すなわち生き続けることの困難さに苦闘する日々にある。はたして人間社会は、いつの日にこの苦闘から逃れることができるのか!。結局、人間社会は神仏の加護など当てにならずいや当てにせず、ワクチンにすがることだけが唯一無二の新型コロナウイルスに立ち向かう、世界の国々と人々の共通の武器と言えそうである。まさしく、異界の魔物と人間の知恵の闘いである。いずれは人間の知恵が勝つであろうと、私は信じているところである。
 それにしても人間社会は、長い戦いを強いられている。きのうの気象予報士は、日本列島各地の梅雨入り日の予想図を示していた。すでに沖縄と奄美地方には気象庁から、梅雨入り宣言がなされている。新たに延びた緊急事態宣言のほか、さまざまな新型コロナウイルス対応策が空振りに終われば、この戦いは梅雨のさ中の戦いとなる。なお梅雨が明ける頃まで戦いが延びれば、新型コロナウイルスは「東京オリンピック」(七月二十四日・開幕日)と、ひと月後れて続く「パラリンピック」(八月二十四日・開幕日)に大きな妨げとなる。
 現下の日本社会と国民は、まさしく新型コロナウイルスとの戦いの中にある。加えてわが家とわが日常は、アクシデントのさ中にある。どちらからも私は、恐々の日常生活をを強いられている。おのずからこの頃のわが気力は萎えて、文章の執筆とわが意気は絶え絶えである。まったく、様にならない。確かに、わが気分は「嗚呼、無情」、人生は「嗚呼、無常」である。
 寝起きの書き殴りに甘んじて、ほとほとかたじけなく思う、夜明け心である。朝日は、くまなく輝いている。