五月六日(木曜日)、大型連休中にあってはまるで、遠慮していたかのように、雨の夜明けが訪れている。きょうは「昭和の日」(四月二十九日・木曜日)を含めて、五月へ月替わり通して四日、すなわち「憲法記念日」(五月三日・月曜日)、「みどりの日」(五月四日・火曜日)、「こどもの日」(五月五日・水曜日、立夏)の祝日をカレンダー上に記した大型連休の明け日である。この間にはいつもの週末二日(土曜日と日曜日)を挟んで日本社会は、文字どおりゴールデンウイークという大型連休に浸っていた。さらには政府や自治体の呼びかけに応じて、きょう・あすの平日を有給休暇の取得日にかえて、週末二日の休日へつなぐ人たちもいる。そうであればいくらか余儀ないこととはゆえ、まさしく休日満喫の大型連休の継続に浴することとなる。
だからと言って日本社会および国民ともに、必ずしも極楽とんぼではおれないものがひかえている。それは休日明けにともなう、新型コロナウイルスの齎(もたら)すさまざまな数値の推移である。なかんずく、「緊急事態宣言」下の自治体にあっては、所定の期限(五月十一日・火曜日)における、解除の可否あるいは是非の判断が迫られる。
わが下種の勘繰りをめぐらせば大型連休中のメディア情報をかんがみて、解除なく延長やむなしであろう。そうだとすれば、その先の鬱陶しさが思いやられるところである。これにわがことを加えれば、鬱陶しさは増幅するばかりである。その因(もと)は、鎌倉市の公報によるわが年齢(八十歳)へのワクチン予約開始(五月十日・月曜日)への対応である。
気象庁は早くもきのう、沖縄および奄美地方の梅雨入りを宣言した。季節いや一年は、こんなにも早くめぐるのか! と、私は唖然とするばかりである。人間界には新型コロナウイルスのもたらす鬱陶しさに加えて、この先には自然界のもたらす鬱陶しさがいや増してくる。七月と八月に予定されている世紀の祭典、すなわち「東京オリンピックおよびパラリンピック」は、なんら鬱陶しい気分癒しにはなりそうもない。なぜなら現下の人間界は、日々生き続けることの困難さの渦中にある。言うなればその日暮らしに明け暮れている。それに耐えて人々は、つつがない日々を願って生き続けることに懸命である。
もちろん、他人事(ひとごと)とは言えない。私もまたその渦に嵌(は)まり、樽の中の里芋洗いのごとくに、ゴロゴロと揉(も)まれている。雨の夜明けは、関東地方の梅雨入りの走りであろうかと、恐れて気を揉むところである。