「こどもの日・立夏」

 五月五日(こどもの日・水曜日、立夏)、宮仕えの人たちが気兼ねなく休める、大型連休の最終日の夜明けが訪れている。現下の日本社会にあっては、新型コロナウイルスのせいで、外出や行動の自粛を強いられて、さらに週末の日曜日(五月九日)まで、自制の休暇(多くは有給休暇)を決め込んでいる人たちがいよう。政府や自治体の呼びかけ、これに呼応し役所や企業などが余儀なく休暇促進のさ中にあっては、これまた気兼ねなく休めることもあろう。理由はどうあれ休暇が続くことは、宮仕えの人たちにとっては、まさしく夢見る「パラダイス(楽園)である。
 現役中の私であれば文字どおり、小躍り(あるいは小踊り)すること請け合いである。ところが現在の私は、もちろん欣喜雀躍(きんきじゃくやく)する気分をすっからかんに失くしている。当時の気分にもう一度ひたりたい思いは山々だけれど、もちろん今や叶わぬ願望である。ほとほと、残念無念である。
「あなたは、何たることを言われるのか! 罰が当たりますよ。あなたは、私たちからすれば涎が出るほどの幸せ者ですよ。果て無い、長い休暇にありつかれているじゃないですか」
「はいはい。確かにそうです。だけど、この休暇には小躍りする気分はありません」
 こんなケチなことを書きたくなる日本社会の大型連休は、今週で打ち止めとなる。そして、十日(月曜日)には現役の人たちは、文字どおり休日明けの休日病や月曜病に罹り、終日悩まされることとなる。いやいやわが体験上、その一週を丸々休養に当てざるを得なくなる。挙句、明らかな給料泥棒に成り下がる。ところが、幸いなるかな! 今の私は、この悪習からは免れている。これらのことをかんがみれば、やはり現在の私は、現役の人たちを妬(ねた)まず、「極楽とんぼ」と、言うべきであろう。確かに私は、現役の人たち同様の大型連休にはありつけなかった。しかし、気分的には妬みなく「おあいこ」である。
 きょうもまた私は、実の無い文章を書いた。もちろん、ありつけない子ども心、すなわち「こどもの日」を妬んでいるわけではない。だとしたら案外、「立夏」すなわち季節めぐりの速さに、肝を潰されているせいなのかもしれない。このところの私には、「書かずに、休めばよかった!」と、思う日が続いている。とことんなさけなく、そしてかぎりなくやるせない。