朝日の輝きさやかに、「憲法記念日」(五月三日・月曜日)の夜明けが訪れている。しかしながらわが気分は、晴れない。いや、晴れようがない。就寝時にあって私は、頭部の一部に痛みと違和感をおぼえていた。脳の病の前触れかなと? と、いくらか驚いた。ところが目覚めてみると、幸いにもこの現象は去っていた。それでも寝起きの私は、憂鬱気分まみれにある。憂鬱気分をもたらしているのは、日本社会に渦巻く新型コロナウイルスにかかわる社会現象である。なかんずく、日々加速度的に伝えられてくる医療崩壊の恐怖である。
実際のところ私は、医療現場の崩れ様など、まったく知るよしない。それでも、テレビ映像などからもたらされる恐怖(心)は身に染みて、日々いっそうつのるばかりである。これまでの日本社会にあっては、病に罹れば病医院へ駆け込めるという、安心感が根づいてきた。ところが、現下の日本社会にあっては、新型コロナウイルスと感染の拡がりのせいで、現在この安心感が閉ざされている。そのことによる恐怖(心)は、もはや想像するに余りある。この恐怖(心)は人間だれのせいでもなく、もちろん新型コロナウイルスのせいである。だから、余計抗(あらが)う手立て無く、日本社会にかぎらず人間社会は、苦難を強いられている。いや苦難では言葉足らずで、実際には感染者と死亡者を世界中、あまねく累増させている。ところが人間は浅ましく、罪(対策の不備)のなすりあいや、ののしり合いなどが、いっこうに止まないところがある。
憂鬱気分に輪をかけて目下の日本社会は、いっそう濁り水状態に陥りつつある。これから抜け出すには、一筋縄ではいかない。一年経っても人間社会は、魔界の異物すなわち新型コロナウイルスのさらなる蔓延状態にある。人間躍動の季節、加えて日本社会は、大型連休真っただ中にある。ところが私は、身を絞るような文章を書いた。いや、おのずから書かずにはおれなかった。ほとほと、なさけない。休むつもりで起き出し、そして書き出した文章は、生煮えどころか少しも煮立たず、結びとするものである。「休めばよかった」と、悔いるところがある。新型コロナウイルスのせいで、憲法記念日は色あせている。