悪夢

 スヤスヤと眠れれば人間は、それだけでじゅうぶん幸福である。ところが私の場合、安眠に恵まれることなど滅多にない。それゆえに安眠にありついたときには、冒頭の感慨がメラメラと湧いてくる。
 このところの私は、就寝中にあって悪夢に魘されている。挙句、疲れ切って起き出している。そして、まったく労働の無い就寝中にあって、重労働後の疲れをはるかに超える疲労感に苛(さいな)まれている。まさしく、悪夢の祟(たた)りである。悪夢はまさしく空夢(からゆめ)、あらん限りの虚構を作り出し、就寝中のわが心身を虐(いじ)め尽くしてくる。
 誕生から八十歳を超えるこんにちまで、私には人様から虐められた記憶はまったくない。このことではみずから、稀に見る幸運児と自認するところである。もちろん、虐めた記憶もない。しかしながらこのことは、完全無欠とは言い切れない。なぜなら人様の記憶の中に、私に虐められたと思う人が存在するかもしれない。もとより人間は、人様の思いを知ることはできない。
 学童の頃の私は、友達のひとりからしょっちゅう、「ゴットン、ごいちの禿げ頭」と、呼びかけられていた。こう呼ばれていた理由は、こうである。わが家の生業(なりわい)は、水車を回して精米業を営んでいた。さらに、父の名前は吾市(ごいち)であり、五十六歳時に私をもうけた父の頭は、小学生時分にはすでにツンツルテンに禿げていた。わが家から近いところのひとりの友達は、水車の音と父の禿げ頭を知り過ぎていたのであろう。そのため、おとなの見よう見まねで子どもなりに、みずからを編み出したことばなのである。
 今様では揶揄(からか)いことば変じて、まさしく確かな虐めことばと言えそうである。しかしながら受けていた私は、まったく動じなかった。それゆえ私は、このことばを当時はもとより今なお、虐めとしてまったく勘定していない。動じなかった理由はただひとつ、私が父を好きでたまらなかったからである。
 こんな私が、人生終盤にあってなかんずく、就寝中の悪夢に魘され、心身が疲れ切るほどに脅かされるのは、何たるつらい業(ごう)であろうか。悪夢さえなければ、「ひぐらしの記」のズル休みや頓挫は、かなり少なくなること請け合いである。きのうのズル休みも悪夢のせいであり、きょう四月四日(日曜日)の実の無い文章もまた、悪夢のせいである。悪夢は、やっかみ半分にだれがこしらえるのであろうか。人間になりきれない、空想上の鬼の仕業なのか。「鬼に金棒」、いやいや、鬼に金棒を持たせるのは真っ平御免である。
 【魘される】「恐ろしい夢などを見て思わず苦しそうな声を立てる。悪夢に魘される」。
 【魘】「部首:鬼部、総画数24画。おそわれる。うなされる。おそろしい夢を見て、眠りながらおびえうめく。悪夢」。
 つらい、現場主義の生涯学習である。ただでは起きないというほどの、価値ある学習ではない。こんな学習は、もちろんただ(無料)でいい。