無駄の効用

 春の季節は足早にめぐりながら、三月を過去ページへと移して、月を替えて四月一日(木曜日)の夜明けが訪れている。日本社会の習わしで表現すれば、春三月・別れの儀式多い月から、春四月・出会いの儀式の多い月へのバトンタッチとなる。並(な)べて三月と四月は、人それぞれの人生行路において悲喜交々に、巣立ちや門出の季節にある。閑話休題。現在の私は、何かを書かないと、もう書けなくなる気分に晒されている。偽らざる、現在のわが心境である。
 きのうは、ズル休みに甘んじた。わが薄弱な心は、ズル休みを決め込むと安きに陥り、そのままずるずるべったりとなり、再び抜け出せない。しがない、わが性癖(悪癖)である。それを恐れて私は、空っぽの脳髄に鞭打って、ささやかに指先を動かしている。本当のところはいたずら書きだが、実際にはいたずら書きとも言えない、単なる無駄書きである。それでも、ちょっぴり自己判定を下せば、自己評価は「無駄の効用」とぐらいには、言えそうである。なぜなら、こんな文章の不出来を恐れて、二日続けてのズル休みに逃げ込んでは、そのままキーを遠のけてしまいそうになる。
 もとより、わが生来の性癖は、意志薄弱と三日坊主の塊(かたまり)である。この性癖(悪癖)に耐えてこれまで、ヨロヨロと文章が続いてきたのは、怠け心に宿るすなわち惰性(だせい)の恩恵にすぎない。そのため、惰性の恩恵さえみずからの怠け心で止めたら、もはやわが文章はにっちもさっちもいかない。
 新型コロナウイルスは、第四波へ向かってぶり返している。人間界に悪さするウイルスに肖(あやか)っては、こっぴどく罰当たりをこうむるであろう。それでもわがひ弱な精神は、怠け心を克服しぶり返してほしいと、望むところ旺盛である。ところが実際には、日々安きところへ、深々と沈みがちになっている。どうにも様にならない、月替わりを迎えている。表題には、なさけなくも「無駄の効用」が浮かんでいる。