私は「生きる屍(しかばね)」

 世の中の人たちはみな、生き続けることに苦しんでいる。病魔が身体にとりついている人たちはたくさんいる。人災、すなわち突然の事故や事件に遭遇し、たちまち日常生活に難行苦行を強いられる人たちも数多である。これらに加えて、天災すなわち地震はもとより避けるすべない様々な災難が暇(いとま)なく襲ってくる。現下の日本社会、いや世界中の国々は、新型コロナウイルスのもたらす感染者数と、それによる死亡者数の数値に日々晒されている。まさしく人間は、みずからでは抗しきれないさまざまな禍(わざわい)の渦(うず)の中にある。
 こんな中にあって健康体の私が、わが日常を嘆いているのは、はなはだしい弱虫と自覚するところである。その証しのひとつをこうむり、このところの私は、幼稚な文章さえ書けない。どうにか書けば、マイナス思考と愚痴こぼしまみれになる。おのずから文章は、人様の気分壊しとなる。だから、書いてはいけない。いや、実際のところは、私自身「百八煩悩(ひゃくはちぼんのう)」にとりつかれて、まったく書けない。このところのわが精神状態と日常である。
 わが周辺の桜は、現在満開である。自力叶わず、桜頼りのわが気分癒しである。ほとほと、なさけない。やはり、文章と言えるものは、書けない。桜日和ののどかな朝ぼらけが訪れている。三月二十七日(土曜日)、文章とは言えない恥晒しの「綴り方(作文)」を書いてしまった。