2017

終わりよければ……
週末から出かけて月曜日に帰宅している私の実家通いであるが、いろいろなトラブルが起きて帰宅がずれ込むことがある。
ひぐらしの記によれば前田さんのお宅でもトラブルが起こったという。前日に掲示板を開いてひぐらしの記が一日中載っていなかったので、「何かあったのだわ」と心配していた。もし、お休みならば、何らかのコメントが入るはずと思っていたからだ。まさか、三種の神器の不調とは想像もできなかった。
私の実家でも今週の月曜日、帰宅の日の朝にそれは起こった。朝起きると寒いので階下の居間やダイニングの蛍光灯、エアコン、ガスストーブのスイッチをまず入れる。その後に朝食作りのため、電子レンジ、コーヒーメーカー、電気ポットなど次々と使用する。
この日は、そのほかに洗濯機も使用することになった。しばらくするとすべての電源が切れて、まだ早い時刻の部屋の中は薄暗くなった。いつもは起きてすぐに雨戸を開けているので外の光が部屋に入っているが、帰宅する日なので雨戸は閉めっきりで、蛍光灯がついていなければ薄暗く、懐中電灯を見つけるのにあたふたとした。いつも置いてあるところにないのである。結局、二階の部屋で使ったままになっていた。
ブレーカーを見たがどの部屋も落ちていなかった。もしかしたら地域の停電かもしれないと思い、東京電力に電話を入れようとしたが、電話も停電ではつながらない。夫の携帯電話を使用したが、混雑しているため何度かけてもつながらない。
こんな時に限って、向かいのお宅にプロパンガスの供給車が訪れた。何かあったのかもしれないから聞いてみようと急いで外へ出たが、私のところで契約しているガス屋さんではなかったので、すぐに立ち去ってしまった。
ガスストーブも電気を使用しているので、もしかしたら、停電の情報があるかもしれないと思い、ガスのサービスセンターに電話をしてみた。こちらもしばらく通じなかったがやがてつながった。私の話を丁寧に聞いてくれず、「こちらはガス会社で停電はとは関係ありません。お宅の言われている内容が理解できません。東京電力にかけ直してください」という。
私はなおも、「確かに電気の関係は東京電力だということはわかっています。でもガスストーブは電気が通じていなければ使用できないでしよう。そちらに停電のお知らせなど入っていませんか」と言うと、「現在は都内で小規模な停電が一件発生しているのみだそうです」と、私の聞きたかったことがやっと通じた。「それじゃ、あとは私の家の問題ですね」と私が答えると、「ちなみにブレーカーのボックスを見てください」と電話口の女性が言ったので、私はガスメーターの設置場所に移動して、またまた「ブレーカーなどついているのですか」と聞いてしまった。すると女性が「ついていると思います」と言う。何度もやりとりしているうちに、どうやらその女性の言っているのは電気のブレーカーのことだと気がついた。「停電の原因が解決するまで帰宅できない」ということが、私の頭の中をぐるぐる回っている。東京電力に電話が通じるまで待ち続けることになるのだった。
とりあえず私は、ガスサービスセンターの電話口の女性の言葉に従って、再び電気のブレーカーの設置場所に行った。
実家は何度か建て増しをしていて、電気のブレーカーボックスが二つある。新しい方のブレーカーはスイッチが全部ONになっていた。そのとき私の頭にひらめいた。前にもこんなことがあったことを思い出したのだ。蓋が開けっぱなしになっている大きなボックスの横に蓋の閉まっている小さなボックスがあり、その蓋を取るとおおもとのスイッチが落ちていた。
このボックスが全体のブレーカーなのだった。過電流が流れておおもとのブレーカーが落ちてしまったのだ。
私は電話口の女性に平謝りに謝って電話を切った。けれどなお、私の気持ちはその女性の応対の仕方に不満が残った。
東京電力の電話が混雑していてつながらなかったので、ガス器具も停電との関連から、東京電力の停電情報が入っていないかどうかの確認をしたかったのに、こちらの質問を丁寧に聞いて理解してくれなかった不満が、なかなかおさまらなかった。そのうちに慌てふためいた自分の態度に恥ずかしさがこみ上げてきた。
夫が、「終わりよければ全て良しとしようじゃないか」と笑いながら言った。私はその言葉にようやく溜飲を下げて帰宅した。

台風二十一号のあとさき
十月十三日に例年通り特定健診を近くのクリニックで実施した。胃のバリウム検査で異常が見つかって再検査となったので、車で三十分の病院へ電話連絡した。内視鏡の予約はまず内科の胃腸外科で診察を受けなければならないとのことだった。消化器科の医師は非常勤で月、水、木、金の午前中のみという。週末から週明け月曜日までは古河にいく予定になっているが、とにかく早く済ませたいため予定を変更して、十六日の月曜日に病院に出かけた。ひょっとしたら、バリウムの影像を見て内視鏡は免れるかもしれないと期待していたが、医師は紹介状を見ただけで内視鏡の予約をするようにという。パソコンの画面に映し出された日程表を見せられて、青い部分が予約できる日というので、最も早い二十三日(月)にすることにした。その週の火曜から木曜まで古河で過ごした。台風二十一号が接近しており、木曜日の早朝に帰宅した。
二十三日は大荒れとのことで心配していたが、影響はなく無事内視鏡の検査は出来た。幸いに軽い逆流性食道炎とのことで、治療も薬もいらず、特に問題はなかった。安心して台風の影響が心配だったので、古河行きは金曜日から行くことになった。ところが台風二十二号が発生しており、台風の進路を気しながらの古河行きとなった。
二十七日(金)のお昼過ぎに実家に到着して、台所の電気を点けると、電気の傘が黄色く濁っている。故障かと思い傘を外してみると、大量の水がこぼれて床の上がびしょ濡れになった。予期していなかったので慌ててしまった。天井に吹き込んだ雨水が電気のコードを伝って電気の傘に溜まったのだった。出入りの大工さんに電話をすると木曜日でないと都合がつかないとのことで、台風も近づいていることだし、雨漏りの様子も見ることにして木曜日まで滞在することにした。漏電すると困るので、電源を落としておいてくれと大工さんは言うが、暗闇で生活も出来ないので、台所の分配器のみ電源を落として、延長コードを四苦八苦して何とか冷蔵庫と電話の電源を確保した。水漏れは、その後の二十二号台風での雨漏りは起きなかった。
ところが駐車場入り口の側溝が溢れて、日頃抜いた草や伐採した木など積んでいる駐車場の一角が水浸しになった。浸透式になっている側溝の升は大量に降っている雨水を溜めきれず溢れ出して水かさがどんどん増していく。そのうちに雨が小降りとなって、翌朝見るとあふれ出た雨水が溜まったままになっていた。木枯らし一号が三十日に吹いて、周囲の林の樹木がうなり声を上げた。枯葉や枯れ枝が地面に落ちて見苦しい。しかし、風が止むまでは手がつけられない。ホームセンターへ行き水中ポンプを買って来て、溝の大掃除となった。
笹藪からチッチッチと聞き慣れた鳴き声がして、あの野良仕事のお友達のルリビタキの雌が近くで止まった。雄の青い鳥は未だ見ていない。でも、そのうちに見られるだろう。台風が過ぎ去れば、農作業が出来る。さつまいもと落花生、じゃがいも、里芋と収穫し、味見となった。らっきょうの花が咲いていた。ニンニクも幅広の葉っぱを伸ばして元気が良い。今回は一週間の滞在となった。ゆっくりと落ち葉はきをしたり、とにかく一日中外で動き回った。大工さんが来てくれるという木曜まで電源を落として辛抱強く待った。
十一月二日(木)の朝、十一時半に来るという大工さんを待って、道路の掃除をしているとカタカタカタと音がした。辺りを見回しても誰も居るはずがない。ひょっとして唯一向かいのお宅に泥棒でも入ったのかとそっと近づいてみる。というのも、前のお宅は昨年母親が亡くなって、男性の一人住まいで、週末に都内から通ってくるので、普段は留守なのだ。冷暖房の室外機が盗まれたり、家屋に泥棒が侵入したりと災難である。音のする方へ近づいてみると、枯れ朽ちた桐の大木にキツツキが穴を空けていた。頭に赤い帽子を被ったようなキツツキは、削った穴の中に入ってきょろきょろ頭を動かして、辺りをうかがったりしている。珍しく眺めながら私の頭にカメラが過ぎった。「よし」と駆け出して家の中へ。またまたシャッターチャンスを逃しそう。カメラだけ持って引き返したけれど、遠くで一枚撮りながら、三脚を忘れたことに気がついた。そうなのだ、いつも画像がぶれている。手ぶれのせいなのだ。また戻って三脚をセットするが、もうすでにキツツキの姿はない。 

秋の候

暑さ寒さも彼岸までということば通り、どうやら夏は生煮えのまま過ぎ去っていくようだ。
古河の実家の畑は、秋野菜の季節を迎えている。キャベツ、レタス、サンチェ、サニーレタス、そしてイチゴの苗を植え終えた。大根の種の蒔いた。そろそろらっきょやにんにくが芽を出し始め、ジャガ芋もちらほら葉を伸ばしている。
柿の実が赤くなりはじめ、カラスが騒がしい。ふと、見つけたお茶の純白の花が一輪、林の中で見つけた木を移植して数年が経ち、やっと花が咲いた。
金木犀の香りに酔いしれながら畑仕事とは贅沢だ。ナスが夏の盛りを過ぎて、秋なすの実が沢山ついている。 自宅のベランダでは、今年三回目の月下美人の蕾が開花の準備を始めている。あれほど待ち望んだ花だったのに、咲いてみるとあっけない。年に三度も花が見られるとは。

このところ、私の実家古河でも、落葉が日増しに増えている。前回に綺麗に掃き清めた私道には、翌週到着すると、掃いた形跡などまるでなく、雨でも降ったらべったりと舗装道路に張り付いている。
掃いているとき、風がなくてもハラハラと意地悪しているように落ちてくる。風でも吹こうものなら、掃き貯めたものがばらまかれてしまう。だから私は、一度掃いたら諦めて放っておく。落葉が落ちて直ぐには、色とりどりの葉がきれいで、掃くのがはばかられる。そのまま放っておいても見苦しくない。まして、誰も来ない所である。こちらの自由にまかせ、時間と体力の加減で、落葉はきをする。掃き清めた後の充実感は癖になる。
空を仰ぎながら、夏の間にびっしりと葉をつけた木々のたくましさに感無量になる。

シジミチョウの思い出
私の古河の実家での起床は五時頃である。今頃は大分日の出が遅くなったが、それでももう明るくなっている。朝食までの一時間あまりを外に出て畑仕事や家の周りの草取りをして過ごす。先日はユキヤナギの枝でシジミ蝶が数匹止まっていた。その中の一匹は、羽を広げたまじっとして動かない。まだ目覚めていないのだろうか。薄青いおぼろげな色をじっと眺めていると、遠い昔の出来事が思い出されてくる。
三十五年前というと、もう昔々のことになってしまうだろう。私は念願叶って小説「他人の城」で埼玉文学賞を受賞した。その五年前、手探りで書き続けていた小説をはじめて賞に応募して、小説「父の家」で埼玉文学賞の準賞を受賞した。この時は正賞に該当する作品がなかった。
それからの私は、正賞を目指して毎年この賞に応募したが受賞できなかった。 そして小説「他人の城」でやっと正賞を受賞することが出来たのは五年後のことであった。
「何事も二十年間続けてこられたら、それは本物だよ」 将来についてまるで雲をつかむようだった高校生の私に、しみじみと語ってくれた父の言葉は、その後の私を勇気づけ励まし続けてくれた。それは小学校の図工の教師だった父が、絵を描くことで苦闘し続けていた自分自身に向って言い聞かせ続けていた言葉だったのかも知れない。
私は、埼玉文学賞を受賞した一九八二年に日本随筆家協会から小説集「風の宿」を自費出版した。その小説集に収録されていた作品「空き地の英雄」を読んでくれた友人から手紙をもらった。中には一枚の写真が入っていた。
「作品の中の『野菊の花の一輪と見誤うような名も知らない紫色の小さな蝶々』とあるのはシジミ蝶かと思いましたので写真を同封しておきました」と手紙が添えられていた。 私はこの友人の手紙に小説を書く厳しさを胸に刻み、今でも文章を書くたびに自分に言い聞かせている。

とんだお邪魔虫
 いつものように土曜日の十一時頃に実家に着いた。昼食を終わって庭に出ると私は草むしりをしていた。すると夫が、「何か変なものがある」と言い出した。
 宗弘記念館を作る以前に展示室として使っていた建物の換気扇のフードに古いダンホールのようなものがつまっている。
「もしかしたらスズメバチの巣かもしれない」
私も夫の居る場所に行ってみると、奇妙な形をしたものがフードから覗いている。それはまるで昔のフランス貴族の髪型のようである。よく見ていると、どこからともなくスズメバチがその変なものめがけて飛んでくる。穴が幾つか見えていて、その穴からスズメバチが出入りしているのだった。
さあ、大変だ。数年前にやはり二階の軒天に大きな巣を作ったことがあって、業者に駆除してもらった事があった。古河で古くから書き加えながら使っている自家製の電話帳を調べると載っていた。
電話をしてみると、留守番電話になっている。夫が、「台さんに訊いてみたら」と思いついた。台さんは父の代からの懇意にしている建築会社で古河の実家の建物は全てここで建ててもらったものである。電話をするとすぐに連絡を取ってくれて、駆除会社から直接電話が掛かってきた。
月曜日の午後一時に伺うとのことで、とにかく連絡は取れた。
本日、一時に業者が一人でやってきて、一度には取り切れないとのことで、一応殺虫剤をかけて、出来れば巣を壊してみるとのことだった。しかし、やはり一回では取り切れず、奥の方の大きいのが残ってしまい、数日後に二人でがかりで取り除いておくとのことだった。
テレビでこの時期スズメバチの駆除の様子を撮影している番組があるが、私と夫は、スズメバチ駆除のスプレーを持って遠くから見ていた。時々、勢いよくこちらめがけて飛んでくる蜂は、途中でぽたりと落ちる。まだ地面に落ちて直ぐは生きているのだけれど、虫の息である。それに私がスプレーしてとどめを刺す。
業者は後日もう一度来ると言い残して帰っていった。三万円と消費税がかかるという。とんだ失費である。

夏の候

夏の名残
夏のなごりの蝶が草むらに止まっていた。朝羽化したばかりのようで、羽を閉じたままじっとしている。時々、羽を開いては閉じるを繰り返す。カメラを取りに行って戻ってみるとまだじっとしていた。羽が乾くまで飛び立つことができないのだ。
時々、涼しい風が吹いてくる。セミたちも夏の終わりを感じ取っているのか、騒がしいほどに鳴いている。落ち葉の中に命を終えたセミたちが混じっている。夕方にはひぐらしも鳴き始めた。
もうすぐ道路の片端に彼岸花が咲く。
道路の清掃
ようやく夏日が戻ってきた。古河の実家の道路の草取りと落葉掃きをどうにか終えた。週末に行くといつも雨模様で道路にべったりと落葉が張り付いている。思うように掃除が出来なかった。昨日は朝五時に起きて道路に出た。午前中いっぱいかかって掃除を終えた。ついでに駐車場の入口を覆っていたニセアカシアの高く太い枝をのこぎりで切り落とした。大きな音を立てて枝が落ちる。まだ葉が沢山着いているのでクッションになる。枝の始末も大変だ。軽くして持ち運ぶ。もう何度も経験済みだが、いざ切る作業になると決意がいる。体調を整えて一気にやってしまわないと、後片付けが億劫になるからである。 
夏の風情
古河市の実家である望月窯にも夏の風情が漂っている。中庭で飼っているめだかの池には睡蓮が花を咲かせはじめた。 ヤマユリも林の中にあった一本を移植したのだけれど、今年もまた林の中の同じ位置に一本出てきて満開だ。窓を開けていると、微かな香りが漂ってくる。移植したものも花が咲いた。 ヤマユリは清楚でか細い茎にたくましくいくつも花を咲かせる。茎が折れないかとはらはらする。自然の力は見事である。 
 駐車場入口の庭に咲いているカサブランカの群生。昨年の秋に球根を取り出して植え替えたので大きな花がたくさん咲いた。

梅雨の候

現在望月窯の畑には、キュウリ、ナス、トマト、イチゴ、カボチャ、スイカ、ピーマン、落花生、里芋、枝豆などが植わっている。野菜の育て方もだいぶ分かってきた。
今年は葡萄の房が二房ついたが、一房は枯れ落ちてしまった。残りの房にも笑っちゃうくらいほんの少し実がついて成長している。それだってやっと実ったのだから大事な宝物だ。
スイカが大小七個成っている。実の茎の所の蔓が黒くなったら熟しているとのことだったので大きいのを一個獲った。けれど割ってみるとまだ黄色だった。種も白いので未熟なのだ。とっても損をしたような気分で、食べてみたら甘かった。ますます大損した気分。
昨年は何ものかに落花生を食べ尽くされてしまったので、今年はフレームの中に植えた。花がちらほら咲き始めているが、株が大きくならないのがちょっと心配。
ブラックベリーは実が鈴なり。収穫が待ち遠しい。
草取りと野菜を育てるのに忙しく、花はあまりぱっとしないが、それでも季節ごとに咲いている。くちなし、あじさい、マツバギクなど夏の花だ。
桔梗は梅雨時に雨に濡れて凜としている姿がいい。グラジオラスは毎年ほったらかしていたので、なかなかいい花がつかなかったけれど、去年の秋に植え替えたらちゃんと答えてくれた。カサブランカは毎年見事に花が咲く。ヤマユリはか細い茎に見事な花をつける。今年もどうやら蕾がついた。むくげの木は一本枯れてしまったけれど同じ花を見つけて植えた。昔からのピンクの花が咲いている。
柿の実が今年もたくさんついた。どれぐらい残るだろうか。次郎柿と禅寿丸は花が咲かなかった。ずっと大事にしすぎて枝を切らなかったせいだ。どれもこれも父母や弟の思い出がつきまとう。切ない。

野菜作りの日々

先週の土曜(六月三日)から今週火曜日(六月六日)まで望月窯に滞在した。梅雨が近づくと、ジャガ芋の収穫時期が気になり出す。雨の日の収穫は腐りやすいという注意書きが頭にちらつくからだ。晴れの日が続いたときに収穫する。頭にこびりついている。そこで土曜日に収穫した。キタアカリは小振りだが、結構な量になった。 それから念願だったタマネギが、今年は小玉ながら実になった。毎年植えているが、霜柱が十センチ近く立つ厳寒では、どうしても根が持ち上げられて枯れてしまう。そこで去年はビニールをトンネルがけにしてみた。どうにか冬を越して春には緑の葉が育ち始めた。今年こそ、もう少し一人前の物に育てるぞ、と自分に活を入れた。
キャベツはもうほぼ一人前に育てることが出来る。しかし、まだまだ、無農薬と自分流の肥料で育てるのは容易ではない。何事も根気と勉強だ。一年に一度の試みしか出来ないのだから時間もかかる。まあ、のんびりと楽しむことにしよう。

先週の土曜日(五月十三日)は雨模様だった。いつものように朝八時前に実家(望月窯)に出発した。先週赤みを帯びたイチゴのことが気になっていた。案の定、何ものかに熟した大きな物は食い散らされた。今年は良い実が成っていたので楽しみにしていた。網も張ったし大丈夫と思っていたが、やはり甘かった。 翌朝、雨がやんだ畑に出て、イチゴに防虫ネットを張った。大方、実が成ったので、もう昆虫の助けはいらないだろう。
帰る日の朝、熟れ始めたイチゴの実を三つばかり取った。野菜の収穫を決心して、絹さや、キャベツ、サンチェ、サニーレタス、巻かない白菜、フキ、ミント、ローズマリーなど朝取りした。
スイセンが終わって、アヤメの季節になった。ボタンの花と思っていたら、接ぎ木のシャクヤクの花が咲いた。ボタンの方はまだかろうじて新芽が出ていたので、シャクヤクの花は切り花にして根元から切った。
少しずつ夏野菜のナス、キュウリ、トマト、ピーマン、カボチャ、スイカなどが育っている。落花生も本葉が数本で始めた。先日、里芋の種芋が売れていたので買ってきて植えた。そうそう、空豆も味見をした。
ブラックベリーの花が咲き、パッションフルーツの蕾もつきはじめた。夏は、草取りが大変だけれど、それにもまして収穫の楽しみがある。

五月一日 実家(望月窯)はいよいよ野良仕事のシーズン。先週末から二泊三日の滞在は、畑仕事と草取りに追われる。早朝から色々な小鳥の声がして、一日が始まる。
うぐいすの派手な鳴き声はついつい口笛でまねたくなる。驚くなかれ、ヘタな私の鳴き声にちゃんと答えてくれる。ケキョケキョケキョと何やら意味ありげに鳴いてみせる。谷渡りも披露してくれる。
時々カラスまでわめき立てる。生き物たちがみな活発に活動を始めた嬉しい季節である。
二十九日の夕方、突然暗くなり、雷が鳴り、夕立があった。雨が上がって、外へ出た夫が、「面白いから見てごらん」と大声で呼んでいる。出てみると、東の空が真っ赤に燃えて、虹が出ていた。不思議な現象に思わずカメラを取りに戻り、シャッターを切ろうとしたら、バッテリー切れである。急いでバッテリーを入れ替えて、「まだ消えていない」と声をかけながら外へ出た。今度は、カードがありませんと表示が出た。慌てるとろくな事はない。再び取りに戻り、「まだ、大丈夫?」と言いながらカメラを構えた。
まだ小雨がぱらついており、時折吹く風で木の枝のしずくが降りかかる。四苦八苦して撮った写真。後で考えてみて、構図が悪い。風景を入れなかったのが悔やまれた。虹と真っ赤に燃えた空だけが頭にあり、虹の周囲の風景に気づかなかった。 翌日の夕方、また夫が呼びに来た。フレームの中に植えてある葡萄の若葉に青蛙が止まっているという。またまたカメラを持って出てみると、緑の葉っぱの一番上にちょこんと止まっている。カメラを構えても、フラッシュをたいてもすまし顔。
翌朝、その場所に再び行ってみると、すでに蛙はどこやらへ出勤 した模様。

春の訪れ

三月三十日(木)から四月一日まで古河の実家(望月窯)に滞在した。そろそろ畑仕事をしようと思ったが、途中で訪れた「道の駅」の花屋さんにはまだ苗が出ていなかった。それに冬の寒さに逆戻りで、流石の私も畑仕事は諦めた。けれど、うぐいすの声に誘われて、絹さやとツタンカーメンのエンドウ豆の覆いを外してネットを張った。
遠くで雉の鳴く声がした。「ああ、今年も春が来た」とつぶやき、雉の鳴く声のする方を見やった。この望月窯周辺の林や畑に太陽光パネルが設置されるとか。先日、道路認定のピンクのテープがあちこちにつけられた。いよいよ現実なのかと、うんざりだ。
野良仕事のお友達の小鳥はあれから姿を見せない。幸福の青い鳥を楽しみにしていたのだが、林が無くなる話を聞き付けて、どこか別の土地に旅立ってしまったのだろうか。うぐいすや雉の声もそのうち聞けなくなるのだろうか。せめて望月窯の庭や畑は、自然を残しておきたいものだと思うけれど、畑の野菜が心配だ。いつだったか、シャクヤクの白い花を全部、首からちょん切ってしまうカラスの悪戯にあった。モグラの悪戯にもこまったものだ。知人が「かざぐるま」をたてておくと居なくなると教えてくれた。さっそく、百円ショップで「かざぐるま」を購入した。「用途以外には使用しないでください」と注意書きがあった。オモチャの「かざぐるま」ではないらしい。畑のあちこちに立てた。ちょっと恐山を思い浮かべてしまった。 なにやら得体の知れない動物の足跡があったり、糞がしてあったりで、ピンポン玉より少し小さい鈴をつるしたりもしている。案山子のフクさん、ツンちゃん、ヒサちゃんはみすぼらしく汚れて、貼りつけた目玉やつけまつげもどこかへ飛んで行ってしまっている。それでも名残惜しくて片付けられない。
ジャガ芋が芽を出して、いちごや空豆に花が来て、タマネギもキャベツもどうやら無事に冬を越した。
白梅、紅梅、蝋梅の花が終わり、いよいよスイセンの花が真っ盛り。ボケも大きな花を咲かせた。 今年は匂い椿の可憐なピンクが美しい。母が大切にしていたカタクリも株が一つ増えて、大きな花を咲かせている。弟が気に入っていたスモモの太陽にもたくさん花が咲いている。