3月17日(月曜日)、5:37。薄っすらと夜が明けている。雨は止んでいる。大空は明るみかけている。やがて、朝日がお目見えしそうである。きょうの鎌倉地方は、晴れの予報にある。予報を聞いて、春(とりわけ天候)に対するわが腹立ちは、いくらか収まりかけている。春の季節はすでに中旬までを過ぎて、今週から下旬へ向かっている。それなのにこれまでの天候は、極め付きの悪天候に見舞われ続けていた。84年もこの世に生きていれば私は、春の天候不順(嘘つき)には十分すぎるほどに慣れっこである。しかしなんだかな……、ことしほど悪天候に戸惑い、余計に腹立たしさをおぼえた年は無いように思えている。このこともあってきのうの文章には、内容はそっちのけにして早々に、「春は詐欺師……」の表題を付けてしまった。挙句、このあとの文章は「草臥(くたび)れ儲け」さえにもならない文章を、長々と書いてしまった。もちろん私は、「儲けなく」草臥れはてていた。唯一の安堵は、見た目長い文章など読んでくださる人はいないはずと、思えていたことだった。
確かに私は、長い文章に懲りていた。だから、きょうの文章は、休むつもりで寝ていた。ところが、「朝が来た」という人間の習性にしたがって、起きてしまった。起きたからにはパソコンを起ち上げなければならないのは、わが固有の習性である。しかし、いつものようにネタ無しのパソコンの起ち上げを食らっている。だけど、恐れていた悪天候の打ち止めを書けたことには、十分すぎるほどの望外の幸せ感を抱いている。いやこのことだけで、パソコンを起ち上げた冥利(価値)は十分にある。だから、この先に書くことは、書くまでもない付け足しにすぎない。
私は、今週の世の中の出来事を浮かべている。一つは、ウクライナとロシアの停戦に向けての、折り合い着き方である。一つは、石破総理にまつわる政界の動向である。これら二つの胡散臭いことを除けば唯一、スポーツ界においてわが心の躍る関心事がある。一つはあすとあさってに予定されている、アメリカ大リーグの日本における開幕戦である。試合はドジャース対カブス戦(東京ドーム)である。そして、週末最終日(23日、日曜日)には、現在行われている大相撲春場所(大阪場所)の千秋楽がある。優勝の行くヘは、大関・大の里と平幕・高安に絞られている。
書くつもりのない文章をまたもや書き殴っていたら、明るく朝日が昇り始めている(6:34)。心の和む、春の朝である。この先は桜便りを引き連れて、これまでの悪天候のつぐないを望むところである。
確かに私は、長い文章に懲りていた。だから、きょうの文章は、休むつもりで寝ていた。ところが、「朝が来た」という人間の習性にしたがって、起きてしまった。起きたからにはパソコンを起ち上げなければならないのは、わが固有の習性である。しかし、いつものようにネタ無しのパソコンの起ち上げを食らっている。だけど、恐れていた悪天候の打ち止めを書けたことには、十分すぎるほどの望外の幸せ感を抱いている。いやこのことだけで、パソコンを起ち上げた冥利(価値)は十分にある。だから、この先に書くことは、書くまでもない付け足しにすぎない。
私は、今週の世の中の出来事を浮かべている。一つは、ウクライナとロシアの停戦に向けての、折り合い着き方である。一つは、石破総理にまつわる政界の動向である。これら二つの胡散臭いことを除けば唯一、スポーツ界においてわが心の躍る関心事がある。一つはあすとあさってに予定されている、アメリカ大リーグの日本における開幕戦である。試合はドジャース対カブス戦(東京ドーム)である。そして、週末最終日(23日、日曜日)には、現在行われている大相撲春場所(大阪場所)の千秋楽がある。優勝の行くヘは、大関・大の里と平幕・高安に絞られている。
書くつもりのない文章をまたもや書き殴っていたら、明るく朝日が昇り始めている(6:34)。心の和む、春の朝である。この先は桜便りを引き連れて、これまでの悪天候のつぐないを望むところである。