「16日(日)は西日本~東日本の太平洋側を中心に雨や風が強まり、荒れた天気となるでしょう。東日本の山沿いでは湿った雪となり、東京都心は日中も6℃くらいとダウンコート必須の厳しい寒さに。17日(月)は道東を中心に大雪のおそれ。18日(火)~19日(水)は再び広く雨や雪で、九州~関東でも最高気温は10℃前後と冬の寒さ。春本番はいつから?」(tenki.jp)」。3月16日(日曜日)。
寝起きにあってもう、シトシト雨が降り続いている。この先、雨は弱まることなくなおいっそう、強まりながら長く降り続けそうである。意地悪どころか詐欺師へ成り下がった春は、遠ざかっていた寒気までも連れ戻している。ゆえに現在の私は、腹立たしさの坩堝(るつぼ)の中にある。そのせいかきょうは、文章を綴る前に上記の表題だけが先に決まった。だから、これから書く文章は、表題とはまったく異にしてチグハグである。それでも恥晒しに思えないのは、ネタ無しのつらさである。
このところの掲示板には三者様のおりなす、食べ物の嗜好(主にカップ麺)の話題が沸騰している。私の場合、これらの談議に加わることには話題に背きそうで、これまで意図して避けてきた。さらには嗜好自体が異なり、話題への「参加の資格はなし」とも、決め込んでいた。しかし、きょうはネタ無しのせいで、余儀なく話題の端(はし)への便乗を試みている。
わが子どもの頃はまだいくらかの戦時中、そして終戦後は、日本の国の復興の真っ只中にあった。私の周囲は、近くでは里山、遠くは国有林の山だらけだった。見渡す眺めは段々畑、近場の平地は田畑広がる鄙びた田舎育ちである。日常生活における唯一の取り柄は、自作の米、麦、蕎麦、野菜、芋類、さらには筍、椎茸などに至るまで、自給自足の生活で成り立ち、生活費(金)の費消をともなわないことだった。言葉を変えれば貧乏暮らしとは言えないまでも、質素な暮らし向きだった。おのずから、慣れっこになっていた。明けても暮れても母の手作りのレシピ(献立)には、これらを食材にするものばかりが食卓にのぼった。しかし、私も含めてだれもが、不平や不満タラタラなく、和気藹藹に鱈腹たべていた。しかしながら私の場合は、当時の食の祟りがトラウマ(精神的外傷)となって、現在(84歳)のわが食生活を脅かしているものはある。今では旅人たちに人気の「だごじゅる」(小麦粉練りの麵の入ったスイトン)は、当時のわが家には必ず三度の食事に現れた。夏季の食卓には来る日も来る日も、ソーメンを啜った。父は、ソーメンの間隙を縫って食卓へ上る、母が手打ちのウドンやソバも好んで食べた。ところが、私は好きになれず無理矢理食べた。
私は米(白御飯)一辺倒だった。当時の時節柄母は、ときには世人からの非難逃れに御飯に、麦、粟、大根、カライモ(サツマイモ)など入れた。しかし、水車を回して精米業を生業(なりわい)とするわが家は、おおかた白御飯にありついていた。米には普段の御飯を成す粳米(うるちまい)と、赤飯、ぼたもち、餅などに用いられる糯米(もちまい)がある。双方の米を用いて母は、手作りのメニュー(料理)に日夜、勤(いそ)しんでいた。
現在、わが夫婦の食生活は、ほぼ白御飯一辺倒である。しかしこれには、罪がともなっている。妻の場合は、麺類をも大好物にしているからである。私の場合は、麺類は無くても一向に構わない。だからと言って、まったく嫌いでもない。独り買い物のおりにはたまに、「日高屋」の「中華そば」を食べている。わが家にはもっぱら、私のために「日清のカップヌードル」を買い置きしている。もちろんケチや安価のせいではなく、これらは美味いからである。私は、妻がうどん屋や蕎麦屋へ入るのは拒まない。ウドンは、「かけウドン」なら食べてもいいからである。ソバは、「ざるそば」なら好んで食べている。妻は、スパゲティー料理も大好きである。だからたまに、妻に引率されてこちらの店にも入る。ところがこの店にだけは、私の食べたいものはない。やむなく私は、妻が食べ終えるのを傍らで待っている。
あれれ! 長い書き殴りになってしまった。ここでパソコンは、強制ストップである。恥を晒しても、悔いるところはない。だれも読まない、はずだからである。
寝起きにあってもう、シトシト雨が降り続いている。この先、雨は弱まることなくなおいっそう、強まりながら長く降り続けそうである。意地悪どころか詐欺師へ成り下がった春は、遠ざかっていた寒気までも連れ戻している。ゆえに現在の私は、腹立たしさの坩堝(るつぼ)の中にある。そのせいかきょうは、文章を綴る前に上記の表題だけが先に決まった。だから、これから書く文章は、表題とはまったく異にしてチグハグである。それでも恥晒しに思えないのは、ネタ無しのつらさである。
このところの掲示板には三者様のおりなす、食べ物の嗜好(主にカップ麺)の話題が沸騰している。私の場合、これらの談議に加わることには話題に背きそうで、これまで意図して避けてきた。さらには嗜好自体が異なり、話題への「参加の資格はなし」とも、決め込んでいた。しかし、きょうはネタ無しのせいで、余儀なく話題の端(はし)への便乗を試みている。
わが子どもの頃はまだいくらかの戦時中、そして終戦後は、日本の国の復興の真っ只中にあった。私の周囲は、近くでは里山、遠くは国有林の山だらけだった。見渡す眺めは段々畑、近場の平地は田畑広がる鄙びた田舎育ちである。日常生活における唯一の取り柄は、自作の米、麦、蕎麦、野菜、芋類、さらには筍、椎茸などに至るまで、自給自足の生活で成り立ち、生活費(金)の費消をともなわないことだった。言葉を変えれば貧乏暮らしとは言えないまでも、質素な暮らし向きだった。おのずから、慣れっこになっていた。明けても暮れても母の手作りのレシピ(献立)には、これらを食材にするものばかりが食卓にのぼった。しかし、私も含めてだれもが、不平や不満タラタラなく、和気藹藹に鱈腹たべていた。しかしながら私の場合は、当時の食の祟りがトラウマ(精神的外傷)となって、現在(84歳)のわが食生活を脅かしているものはある。今では旅人たちに人気の「だごじゅる」(小麦粉練りの麵の入ったスイトン)は、当時のわが家には必ず三度の食事に現れた。夏季の食卓には来る日も来る日も、ソーメンを啜った。父は、ソーメンの間隙を縫って食卓へ上る、母が手打ちのウドンやソバも好んで食べた。ところが、私は好きになれず無理矢理食べた。
私は米(白御飯)一辺倒だった。当時の時節柄母は、ときには世人からの非難逃れに御飯に、麦、粟、大根、カライモ(サツマイモ)など入れた。しかし、水車を回して精米業を生業(なりわい)とするわが家は、おおかた白御飯にありついていた。米には普段の御飯を成す粳米(うるちまい)と、赤飯、ぼたもち、餅などに用いられる糯米(もちまい)がある。双方の米を用いて母は、手作りのメニュー(料理)に日夜、勤(いそ)しんでいた。
現在、わが夫婦の食生活は、ほぼ白御飯一辺倒である。しかしこれには、罪がともなっている。妻の場合は、麺類をも大好物にしているからである。私の場合は、麺類は無くても一向に構わない。だからと言って、まったく嫌いでもない。独り買い物のおりにはたまに、「日高屋」の「中華そば」を食べている。わが家にはもっぱら、私のために「日清のカップヌードル」を買い置きしている。もちろんケチや安価のせいではなく、これらは美味いからである。私は、妻がうどん屋や蕎麦屋へ入るのは拒まない。ウドンは、「かけウドン」なら食べてもいいからである。ソバは、「ざるそば」なら好んで食べている。妻は、スパゲティー料理も大好きである。だからたまに、妻に引率されてこちらの店にも入る。ところがこの店にだけは、私の食べたいものはない。やむなく私は、妻が食べ終えるのを傍らで待っている。
あれれ! 長い書き殴りになってしまった。ここでパソコンは、強制ストップである。恥を晒しても、悔いるところはない。だれも読まない、はずだからである。