2月26日(水曜日)。まだ夜明け前だけれど、日を追って夜明けは早くなっている(5:06)。2月はきょうを含めて、まだ3日を残している。ところが、気象予報士の予報によればきょうあたりから、気温の高い春の陽射し(陽気)が訪れると言う。寝起きにあっては確かに、寒気は遠のいていて身体の震えは無く、私はのんびりと机上に頬杖をついている。自然界と気象は人間界に、早やてまわしに春を恵んでいる。だったら、すんなりと悦ぶべきではあるけれど、年齢を重ねて84歳を生きる私は、季節のめぐりに戸惑いをおぼえている。もちろんそれは、季節のめぐりに先立つかのように、縮みゆくわが命に狼狽(うろた)えているからである。狼狽えても焦ってもどうなることでもないことに身を窶(やつ)すのは、愚の骨頂の極みである。だけど、それを防ぎきれなのは、わが生来のマイナス思考と共に小器の証しである。
待ち望んでいた「春」が来たのに、こんな文章しか書けない私は、とことん哀れである。この先、本格的に訪れる春は、私を苛立たせ、弄(もてあそ)ぶのであろうか。去りゆく、冬を惜しむようでは様にならない。きょうは、ここで書き止めである。薄く夜明けが訪れている。長く身に纏っていた冬防寒重装備は、きょうで役割を終えそうである。
待ち望んでいた「春」が来たのに、こんな文章しか書けない私は、とことん哀れである。この先、本格的に訪れる春は、私を苛立たせ、弄(もてあそ)ぶのであろうか。去りゆく、冬を惜しむようでは様にならない。きょうは、ここで書き止めである。薄く夜明けが訪れている。長く身に纏っていた冬防寒重装備は、きょうで役割を終えそうである。