カレンダーは「2月入り」

 現在、デジタル時刻は5:33と刻まれている。1月が過ぎて、2月初日(1日・土曜日)の夜明け前にある。このこともあって起き立ての私は、机上カレンダーをじっくり眺めている。もとより2月は例月に比べて、日数を2日ないし3日少なくしている。それなのに2月には2度の国民祝祭日、すなわち「建国記念日」(2月11日・火曜日)と「天皇誕生日」(2月23日・日曜日)にともなう、「振替休日」(2月24日・月曜日)がある。これらに加えて2月には「バレンタインデー」(2月14日)、さらには春の訪れを実感できる「節分」(2日)そして「立春」(3日)が連なっている。節分には「豆まき」や「恵方巻」の歳時もあり、巷間(こうかん)にあって人はそわそわ気分になる。そうこうしているうちにもとより短い2月は、あっという間もなく過ぎ去って行く。春3月の訪れが早いことにはうれしさ、ところが高齢のわが身には、かなしさと寂しさが相同居してつのるものがある。カレンダーを眺めながら、書くまでもないことを書いて、ネタ無しを埋めている。
 きょうは、このことを書こうと思ってパソコンを起ち上げている。掲示板上には現下の日本社会の世相を表す「諸物価高」を話題にして、たまご様と高橋弘樹様のやり取りが綴られている。すると、わが日常生活において、買い物専一行動にある私は、この話題にだけは参加できそうと思えたのである。なぜなら私も、買い物のたびに「モノの値段」の騰がりようには、痛憤をおぼえているからである。日本政府は物価高を超える賃金の上昇を要請し、多くの企業は仕方なくそれに応じている。中でも、名のある大手どころでは初任給の上昇も相次いでいる。ところが、これらに浴する人たちでさえまだ、物価高を超える実感はないという。
 翻って多くの国民は、賃金上昇の掛け声など、ありつけない遠吠えに過ぎず、日々物価高に苦しんでいる。現下の物価高は、辛い世の中の証しである。ところがもうひとつ、直近ではつらい世の中の証しが伝えられてきた。全体では自殺者数は減っているけれど、小学生、中学生、高校生では増えているという。目下のテレビ映像には降雪地方の大雪模様と、道路陥没事故にまつわる懸命の作業行動が映り続けている。2月になっても「春近し」と思えないのは、つらい社会現象である。首都圏も週末には、降雪および積雪の予報にある。夜が明けて朝になり、なんだか風雲急を呼びそうな空模様である。