きのう(1月29日・水曜日)に起きた、埼玉県八潮市における道路の陥没事故は、惨(むご)たらしくてテレビ映像を観るに堪えない。もちろん、日頃わが願う格好のネタではないので、このことのこの先は書かない。私にかぎらず人間であれば、だれしものことであろう。ただ一途に願うのは、落とされている人様の命と、救出作業に励む人たちの善意が共に、助かり報われることである。
今、脳裏に浮かぶのは、子どもの頃の落とし穴、戦場の落とし罠、そして今回の陥没事故などを浮かべて、悪戯(いたずら)、犯罪、そして事故のもたらす災難の惨さである。それなのに会期中の国会にあっては、相も変わらず党利党略かつ自己保身、喧伝まがいの質問と答弁が繰り返されている。
現在、世事にあって国民の関心事の一つには、フジテレビにまつわる出来事の帰趨がある。私も野次馬になりいっときだけ、当該のフジテレビが報じる記者会見の様子に見入った。ところが、質問に立つ記者の面々の品位の無さに呆れてしまい、胸苦しさをおぼえて早々にチャンネルを変えた。記者とは社会の木鐸(ぼくたく)ではなく、独善で目立ちがりやの人物にすぎないと、あらためて認識するありさまだった。こちらには虫唾(むしず)が走り、この先を書くつもりはまったくない。
しかしながらやはり私は、陥没事故の痛ましさには一言を加えたくなっている。すなわちそれは、寒空の下、人様の善意が実り、報われることを切に願っている。夜が明けて、幸いにも八潮市あたりも晴れが予想される。なぜなら、鎌倉地方の夜明けは晴れており、たぶん関東地方のどこかしこも、のどかに晴れた夜明けの訪れであろう。
「のどかに」を用いたのは、わがお里の知れるところで、不用意で不謹慎な言葉だったかもしれない。ゆえに私は、はるかに遠い埼玉県(八潮市)の空に向かって、平に詫びている。きょうの私には終日、彼方の空模様が気に懸かりそうである。
終日、気に懸かる空模様
