大晦日と正月の食事を脅かす、口内炎の発症

 12月11日(水曜日)。このところの起き出し時刻は、みずから定時と決めている、5時前後で安定している。だから、このところの書き出しもほぼ変化なく、様にならない。おのずからまた、同様のことを書き添える羽目になる。夜長の候にあって夜明けはまだ先にあり、きょうの天気模様を知ることはできない。しかし、冬の季節に応じてこの先、日々寒気の度合いが増すことだけは、気象予報士の予報に頼らずともわかる。北風や小雪ぐらいは仕方ないけれど、長雨だけは真っ平御免蒙りたいものである。
 年の瀬・12月にあって、机上カレンダーに記載の「行事一覧」には、ことしの終い月特有に盛りだくさんある。明ければこんどは、年始・1月特有にまた盛りだくさんある。私の場合、年の瀬にあって、来年の準備をしているものは、たったの一つだけである。それは毎年使い慣れている、来年用の机上カレンダーだけは、すでに100円ショップから購入済みである。例年だと準備の一つ、年賀はがきの購入にはいまだに踏ん切りがつかないままである。
 さて、クリスマスにはケーキを食べることもないからどうでもいいけれど、大晦日の年越しそば、明けてのお節料理を前にして、厄介ごと(難事)に見舞われている。すなわちそれは、久しく発症を免れていた口内炎が、ベロ(舌)に顕れ始めていることである。現在はかつて知っている兆しの症状ゆえに、買い置きの軟膏を塗り、防戦に努めている。ところが、軟膏は古くて固まり、肝心要の薬効切れなのか効果なく、現在は買い替えなど次の一手を模索中にある。こんなことまで書いて、ネタ切れを防いでいる私は、つくづく哀れ者である。
 付け足しには、こんなことを書こうと思っている。野菜に関して、子どもの頃には好き嫌いがあった。しかし84歳、もはや死に際にある現在は、好きの範疇には入らなくても、どれもが嫌いの範疇から脱して、食卓にのぼれば満遍なくうまそうに食べている。子どもの頃に毛嫌いしていたのは、メニュー(献立)の三羽烏とも言える、じゃがいも、カボチャ、人参である。これら三品は箸先で撥ね退けて、他のもので満腹にしていた。それでも母は、嫌いなものを押し付けることはなかった。ところが84歳まで生き延びて、口内炎だけはいまだに根切れしていないが、なお総じて健康体である。
 せっかくだから好きなもの三品を順位付けして書けば、ナス、キュウリ、トマトである。嫌いと思えるものは、初めから食わない。総じてそれらは洋物、カリフラワー、ズッキーニ、セロリ、ほか洒落た名の付くものである。私の場合、中華料理だけは別にして、これ以外の他国(異国)料理には食欲が湧かず、食指も延びないのである。極端言えば、御飯に納豆、あるいは目刺し(イワシ)、これらにいくらかお金を張り込めば生タラコなど、おかず一品で十分満足できるところがある。特上寿司を超えて好むものには「赤飯にゴマかけ」で、おかず要らずがある。
 このところの私は、執筆時間に余裕があるせいで、長々と変な文章を書いてはネタ不足を埋めている。ゆえにきょうもまた、平に詫びるところである。だからここで指先はキーボードから外し、この先は口内炎薬剤のチューブを手にして、固まっている軟膏の押し出しに再挑戦する決意にある。薄っすらと夜が明けて、大空は曇天の冬空模様にある。