自然界、人間界共に、年の瀬の朝が来た

 12月7日(土曜日)。季節は日々冬の色合いを強めて、人の世は年の瀬の慌ただしさを深めている。それでも、突然の天変地異の鳴動さえなければ、自然界および人間界共に、正常の時のめぐりである。自然界のもたらす夜長は、陸上競技場(トラック)に例えれば周回コースを回り、いよいよ最終回のバックストレートからホームストレートへと向かっている。この先にはゴール「冬至」(12月21日・土曜日)が近づいてくる。わが家のみずぼらしい柚子の木はそれなりの実を着けて、冬至にちなむ「ユズ湯」の出番を待ってすでに明るんでいる。
 この時季は寒気さえ凌げば、山際に住む私には、季節特有の愉しみがある。一つは、緑、黄、紅、と彩りを変えてきた山の風景である。一つは、枯れゆく木の葉にはすまないけれど、北風ときには南風に舞う「落ち葉しぐれ」の風景である。この風景はこのあとすぐに、私に道路の掃除で厄介さを強いることにはなる。しかしがら枯れ落ちた木の葉に、ちょっぴり人の情けを傾(かたむ)ければ、そんなことは言えず哀感ひしひしとつのるところがある。
 一方で近場の草木には春へ向かって、すでに芽吹き始めているものがある。この時季、わが家および周辺の宅の植栽にあってひときわ目立つものには、盛りの出番が訪れている山茶花と椿の花がある。わが家にかぎればそれらの下には、石蕗(ツワブキ)の黄色の花が、文字どおり小石をそばに侍(はべ)らせて、すでに長く凛と咲いている。
 自然界の井然(せいぜん)としたたたずまいに比べれば人間界は、混乱および騒乱の抱き合わせ、常に騒然状態にある。日本社会は現下、衆・参院共に、国会論戦の最中にある。韓国政治は大揺れ、中国は経済不安定による人心の乱れ、北朝鮮とロシアは、一段と密着して戦時色を強めている。やがて、再びの大統領に椅子に座るトランプ大統領は、「アメリカ一国主義」をいっそう強めて、排外傾向におおわらわである。世界中の戦火は細るどころかまるで、「モグラたたき」さながらに、叩いてもポコポコ現われて消えることはない。
 いつもの寝起きのネタ不足に陥り、なんだかわが柄でもないことを書いてしまった。自分自身味気なく、深く詫びて文章は閉じることとなる。自然界のもたらす夜明けは、和んで穏やかな朝ぼらけである。出まかせの文章は早く終えたので、この先は道路の掃除へ向かうこととする。微風(そよかぜ)さえなく、落ち葉は微動さえせず、わが宅地の側壁の下に溜まっているからである。