恩師「渕上先生」お元気で、気分がいい

 12月6日(金曜日)。夜長の季節にあって、それよりなにより人生行路のゴールテープ直前にあって、熟睡や安眠を貪(むさぼ)れなければ、この世で何んの愉しみがあろうか。こんな思いをたずさえて起き出している。この頃の常套表現を用いれば、壁時計の針は4時30分あたりを回っている。もちろん、夜明けの太陽の光は、未だ彼方に埋もれている。このところのわが文章は、途中で意識してブレーキをかけなければ、落ち着き先不明の蜿蜒長蛇になりかねない。つくづく、バカ丸出しの私である。なぜなら私は、掲示板上のカウント数だけは増えても、見た目だらだらと長くて、だれも読まない文章を呻吟しながら書いている。だれも読まない文章だったら、書かないほうがわが身のためである。だれも読まないなら、なぜ長い文章になるのかと、そのわけを書いても無意味かもしれない。しかしながらやはり、書かずにはおれないところもある。だから、書こうとも思う。
 ずばりそれは、書き出しにあっても、ネタが浮かんでいないせいである。すなわち、私は書き殴りをしながら、何らかのネタが浮かんでくるのを待っている。きょうもまた、ここまで書いても、まだネタは浮かんでこない。このところの私には、84歳という年齢が朝・昼・晩にあって間断なく、心中にこびりついている。挙句、わが気力や行為・行動は、後ろ向きに引っ張られている。おのずから、生きるためのモチベーション(意欲、気力)の喪失に見舞われる。すると、こんな「泥沼」には足や気分を突っ込んではいけないと、大慌てになる。
 ようやく、ネタらしいものが浮かんできた。きのうの私は、まったく久しぶりに掲示板上ではお馴染みの平洋子様(わがふるさとにご在住)へ電話をかけた。用件は、洋子様のご義母であり、わが恩師(小学校1年生と2年生時のご担任)、当時の「渕上先生」のご様子伺いだった。先日、電話をかけたときは、洋子様とご主人様共に不在で、きのう掛け直したのである。かねてから洋子様は、恩師(現在は平孝代様)は現在、最寄りの施設でお暮しと言われている。この延長線上において、洋子様のお声による、久しぶりの恩師のご機嫌(様子)伺いの電話であった。
 わが問いに対する洋子様のお声は、まずは恩師(98歳)の元気なご様子を伝えられた。このことを聞けば、あとは気に病むことのない「スラスラ電話」で、私は洋子様が伝えられるふるさと情報の生噛(なまかじ)りを堪能した。ただ、「渕上先生」と電話で会話ができないことには、やはり残念至極だった。ゆえにわが思いは、洋子様へお伝えし、渕上先生への伝言を依頼した。伝言の要旨はこうだった。
 「渕上先生。洋子様からお元気だとお聞きして、とてもうれしいです。ぼくも長兄(先生と同級生)が亡くなり、もうふるさとへ帰る気はありません。だから、先生にもお会いできません。先生の『綴り方教室』のおかげで、いまだに文章を書いています。綴り方教室が、とても役立っています。このまえは、文昭君(掲示板上のペンネームはふうたろうさん)が写した写真を眺めていました。阿蘇の温泉宿において、宏子さん(わが片思いの初恋の同級生)と肩を寄せ合い、浴衣姿で写られていたものです。先生はご長男様そして洋子様、近くに嫁がれているご長女様たちの愛情に恵まれて、お幸せですね。先生。ますますお元気でいてください」。
 せっかく書いたから、掲示板上で誰かに読んでもらいたいけど、欲はかくまい。ネタのある文章を書き終えただけで、十分幸福である。夜明けは朝になりかけて、埋もれていた太陽光線は、明るくのどかに光り出している。