12月4日(水曜日)。決めている定時(5時)の起き出しより、少し前倒しに起き出している。そのうえ就寝中はほとんど寝つけず、まさしく朦朧頭と眠気眼のダブルをこうむっている。こんなことでは心中にネタなど、浮かぶはずもない。もとより、ネタ切れは常態化している。主に身辺のことにかぎり16年も書き続ければ、もはやどんなに鯱(しゃち)だって探しても、新規のネタなどあり得ない。挙句には、すでに書いたとわが記憶に残る事柄を繰り返し書く羽目になっている。私は究極のドツボ状態にある。
一方では「ひぐらしの記」の製本(単行本)「100号」という、夢のまた夢を掲げている。しかしながら、まさしく空夢にすぎない。きょうは辛うじて書き繋いでいるけれど、あすはわからない。現在、93号となれば残りは7号とはいえ、わが命を鑑みればはるか彼方への道のりである。命の保証のない夢は、まるで「捕らぬ狸の皮算用」みたいなものであり、見ないほうが大ましである。
さて、年寄りの冷や水さながらに生涯学習の再試行を始めて、きのうは三日目そしてきょうは四日目にあたる。すると、生来の三日坊主の性癖(悪癖)をこうむり、きょうあたりで途切れるかなと、現在の私はみずからの意志のことながら戦々恐々のさ中にある。再びの生涯学習に友として連れ出しているのは、かつての国語辞典類の中から一冊を選んでいる。それを加えて、不断の枕元にはこんなものを置いている。すなわち、従来の電子辞書、スマホ、そしてこれらに加えて『難解語便覧』(三省堂)である。確かに、日本語における究極の難解語である。だから、手を伸ばしてそれを紐解くと、たちまち眠くなる。もとより、学習の手助けとは端(はな)から嘘っぱちであり、実際には寝入りを導くための市販の睡眠薬同然にある。ところが、それが高じるとこんどは、深い眠りを妨げられて、夢現(ゆめうつつ)の状態をさ迷うこととなっている。挙句には、まったく寝た気のしない睡眠を強いられている。それすなわち、現在の寝起きの状態である。
このことはとうの昔いちど、書いた記憶がよみがえる。わが高校時代にあって、嫌いな学科の物理の先生は、さっぱりわからない授業の合間に「受けを狙ってなのか」、生徒の疲れ癒しなのか、こんな体験話を差し込まれたのである。
「きのう、古道具屋へ机を買いに行きました。あれこれ探している中で、机に肥後守(ひごのかみ)(当時、人気の小刀)で、『死ぬまで努力』と刻まれた机を見つけました。それを値切って、買って来ました」。
結局、3年間の物理の授業で学び覚えたのは、このことだけだった。しかし、『死ぬまで努力』は明確に、わが生涯学習のきっかけをしてくれたのである。物理の先生は、「諸富先生」だったかな?……。こちらは、嫌いな学科だったゆえに、記憶は薄ら薄らである。
なんだかきょうは、ネタがあったせいか、一時間ちょっとの書き殴りで済んでいる。現在は夜明けの見えない、6時きっかりである。
生涯学習『死ぬまで努力』
