十一月十七日(日曜日)。ほぼ定時あたりの、目覚めと起き出しにある。しかし、夜長の季節にあってはいまだ、夜明けの空を見ることはできず、部屋内外共に真夜中の佇まいにある。私の場合、朝の起き出し時刻には、五時あたりを定刻と決めている。現役時代にあっては、片道二時間余を有する長距離通勤を強いられていたこともあり、しかたなく五時あたりを起き出しの定刻と決めていた。しかし、六十歳定年を機に、おのずからこの起き出し時刻は免れるはずだった。ところが、六十(歳)の手習い文を書いたり、やがては「ひぐらしの記」を書き始めると、朝の寝起きに書くことが習性となり、寝起きの起き出しの時刻は、これまたしかたなくほぼ振出し(かつての定時)に戻っている。きょうは現役時代であればうれしくて、涎が垂れそうな日曜日である。ところが、こんなことを心中に浮かべている。すなわちそれは、自由時間を得ている定年後の起き出しにあっても、なんだかいっそう早起きに悪化しているように思えている。だからと言って私は、「ひぐらしの記」の執筆を悪の根源にはしたくない。なぜなら、ひぐらしの記は、定年後にあって無駄に有り余る時間を十分すぎるほど有為に変えてくれているからである。さて、昨夜の就寝時刻にあっては、ほぼ予告どおり十一時を過ぎていた。二晩続けての極めて遅い就寝だった。この主因を為したのは、予告していたこのせいだった。すなわちそれは、現在開催中の「WBC12」(野球の国際試合)のテレビ観戦ゆえである。昨夜の試合は、日本の代表チーム・侍ジャパン対台湾代表チーム戦だった。球場は台湾チームにとっては、戦いやすいホームとなる「台北ドーム」だった。半面、侍ジャパンにとっては、戦いにくいアウエー(遠征試合)となっていた。試合結果は、3対1で侍ジャパンが勝利した。しかしながら台湾チームはやはり、難敵の最右翼に位置していた。台湾チームを破り侍ジャパンは、オーストラリア戦、続く韓国戦、そして前夜の台湾戦と続いて、三連勝を収めている。残るは、キューバ代表チームとドミニカ代表チームとの戦いである。しかし、きょうの文章にあってこんなことは付け足しにすぎなくて、要は二日続けて遅い就寝を被ったことを書きたかったのである。韓国戦のテレビ観戦ののちの就寝時刻は遅かった。それにもかかわらず早い起き出しを被り、その間は浅い眠りに終始した。案の定、きのうは昼寝に憑(と)りつかれた。昨夜の就寝時刻、そしてきょうの寝起きの時刻も、前日と似たり寄ったりだった。ところが、寝起きの気分は大違いで眠気なく、つれて憂鬱気分も免れている。いま心中に浮かんでいる、その種明かしをすればこうである。きのう、昼寝から目覚めると私は、両耳には補聴器を掛けたままに、片耳(左耳)にスマホをあて、久しぶりに大沢さまのご自宅の固定電話に呼び鈴を鳴らした。幸いにも大沢さまはご在宅で、すぐに大沢さまの明るいお声がスマホ(受話器)に充満した。すぐさに、補聴器のありがたさが身に沁みた。こののちは互いに、澱(よど)みなく長話(電話による会話)が続いた。電話を終えると、昼寝ではいまだ果たせていなかった気分は、たちまちすっきりしたのである。会話の中身はほぼ一方的に、わが不断の愚痴こぼしだった。すると大沢さまは、まるで少女時代のような明るいお声で、わが愚痴こぼしのすべてを拾い上げてくださり、熨斗(のし)を付けて返してくださったのである。すなわち、わが愚痴こぼしを打ち叩く、激励のお言葉をさずかったのである。この激励と厚遇にありついて、またそれをきのうからきょうへひきついて、今朝の寝起きにあっては、眠気および憂鬱気分共になく、全天候型に晴れ渡っている。ようやく夜明けが訪れている。雨の無い夜明けである。しかしながら夜明け模様は、大沢さまからさずかった全天候型には大負けで、今にも雨が降りそうである。よせばいいのに、愚痴がこぼれそうである。大沢さま、文章は難(むつか)しくて、もうやめてもいいでしょうか。