大沢さまのお帰りを待っている

 十一月十四日(木曜日)。早い起き出しを食らっている。常にわが眠りは浅く、特に昨夜の場合は、正味の睡眠時間は三時間程度であろう。開催中の「ラグザスpresents第三回WBSCプレミア12」(野球の国際試合)にあって、昨夜は侍ジャパン対オーストラリア戦のテレビ観戦を終えて、私は十一時近くに就寝した。それなのに目覚めて起き出しは早く、四時ぎりぎりである。仮に天秤にかければ、風袋込みでも五時間くらいにすぎない。二時間ほどは寝つきの悪さと途中の目覚め、頻尿によるトイレ立ちの繰り返し、はたまたスマホニュースの閲覧などに、無駄な時間を費やしたからである。自分自身にはまったく身に覚えはないけれど、どんな不断の悪の報いなのであろうか。つくづく、つらい仕打ちである。
 「ひぐらしの記」は文字どおり私日記風に、目覚め起き立てに書き連ねている。その多くはネタ無しをこうむり、行き当たりばったりに書き殴りと走り書きのダブルに甘んじている。すると、日は替われど書き出しの文章は、まるで万年床のごとくに変わりなく、私は嘆息を吐くばかりである。この悪弊を打破(改善)するには起き出しに書くのを止めること、できれば昼間へ移行するにかぎるのである。こんな容易(たやす)いことは承知の助で、これまでなんどかそれを試みた。ところがどっこい、実際には昼間への移行は果たせなくて、元の木阿弥を繰り返し、なさけなくも元の鞘(さや)へ収まっている。夜明け未だ遠く、きょうの天気模様を知ることはできない。
 さて、きょうの文章の本題に入ればこのことである。現代文藝社を独りで起ち上げ(主宰)、当掲示板を開かれている大沢さまは現在、二週間おきの定例のご実家(茨城県古河市)行きにある。そしてきょうは、わが家(埼玉県和光市)へお帰りの日である。ところが、この間にあって掲示板上には、うれしいできごとがあった。すなわちそれは、きのうの掲示板上における、たまご様のご登場である。たまご様は初めてにもかかわらず、秀逸な作品『泉』を掲げて、満を持してのお見えだった。私はうれしさのあまり、きのうの文章の表題には、「わが疲れを癒す、たまご様の同士(同志)入り」と、記した。大沢さまは、きょうの午後にはご自宅へ帰られるはずである。すると大沢さまは、たまご様のお名前と『泉』を真っ先に目に留められて、そのお喜びのようがわが目に映じてくる。私はこのことを書きたくなって、この文章を書き始めたのである。ところが、無駄な序文が長すぎて、今は自分自身を恥じているところである。たまご様の同士(同志)入りに際し、再び、「大万歳、大歓迎」を唱えて、この文を結ぶものである。
 大沢さまのたまご様への歓迎の辞および文、待ちどうしところである。私は『泉』読んでしばし、卵(受精卵)を食べるのは、控えておこうと決意した。そのぶん、雛へ孵(かえ)れば存分に可愛がるつもりである。
 夜明けの空は曇り空であり、かつ眠りが浅い割には好気分である。84歳のわが身に、ひとり、お仲間が増えたおかげである。長生きに損はない。