わが疲れを癒す、たまご様の同士(同志)入り

 十一月十三日(水曜日)。ほぼ定時の起き出しだけれど、夜長の季節にあっては夜明けの空模様を知ることはできない。しかし、パソコンを起ち上げて掲示板を覗けば、このことは知ることができた。掲示板上には、たまご様の初投稿作品『泉』が掲載されていたのである。そしてそれは、わが書き続けている「ひぐらしの記」とは異なり、本格的な創作文である。行替えには意を尽くされている。みずから、行替えのない不断の自分の書き殴りの文章に飽き飽きしていると、胸の透く思いになりすぐに読み始めた。久しぶりに読んだ、人様(たまご様)の秀逸文章だった。しかし、文章書き素人の私には、これ以上の作品の批評は烏滸(おこ)がましくてできない。ゆえに、このことは大沢さまにお任せである。ただ、現在のわが思いは、きょうのわが拙文は出番なく、ここで結び文とするものである。幸いなるかな! 不断のわが書き疲れはとれる。それよりなにより、たまご様が書き手に加わっていただいて、うれしさが溢れている。その証しには、目覚め時のわが憂鬱気分は、さわやか気分へ変わっている。目覚め時の私は、きょうは何を書こうかな? と、いつもにもまして鬱々としていた。挙句には枕元へ置く電子辞書へ手を伸ばし、二つの簡易な日常語の意味調べを試みた。一つは、「味噌をつける」である。「味噌をつける:しくじる。失敗する。面目を失う」。そして一つは、「図に乗る」である。「図に乗る:調子に乗ってつけあがる」。なぜ、こんな言葉を心中に浮かべていたかと言えば、それはある党首の不倫ニュースに絡めてのことである。
 きょうのわが文章はこれだけでおしまい。そして、この程度なら疲れはまったく無い。さらにはさわやか気分である。しかし、さわやか気分の出どころは、自分の功(こう)ではなく、偏(ひとえ)に、たまご様の同士(同志)入りによるものである。失礼を省みず文尾にあたり、ありがたく、御礼を申し上げるところである。
 夜明けて、胸の透く初冬の日本晴れが訪れている。