題無しの番外編

 大沢さまのご好意に背くまいという一心で、我楽多(ガラクタ)のわが脳髄に鞭打ち、私は長い間「ひぐらしの記」を書き続けてきた。できれば過去形にせずこの意思は、この先へ繋がることを願っている。ところが、この意思を阻むものは他人事(ひとごと)にはできず、自分自身の中にのみあまたある。総じてそれらは、悔い心から生じている泣き言である。それらの中ではもはや、悔いて泣いたところでどうなることでもないものばかり、人生の終末現象から生じている。それらの多くは余生の短さを鑑みての諦念(あきらめ)であったり、さらにはモチベーション(意識、意欲)の低下だったりする。ところが、今の私にはこれらに抗(あらが)う克己心が欠けている。おのずから日々の文章書きは、風前の灯(ともしび)に遭い、今や頓挫寸前のところにある。
 こんな状態にあってこれまでの私は、わが心境を曝(さら)け出し、まるで呪文(じゅもん)のごとく、「潮時、もう潮時」と、言葉を繰り返してきた。なさけなくもこの状態は今も変わらず、ゆえに私は、突然の文章の途絶えに怯(おび)えている。余命短い老境の身とはなさけなく、すべてにわたりこんな切ない状態である。
 これに次いで文章の頓挫を危惧しているものでは、掲げてきた生涯学習の途絶えからこうむっている。それはきのうの文章の二番煎じになるけれど、わが生涯学習に掲げている「語彙学習」の途中頓挫にある。まさしく「後悔先に立たず」である。今になって続けていればと、悔い心が弥増(いやま)している。もとより語彙不足、そしてことさら嘆くのは、蓄えてきた語彙の忘却の速さである。子どもの頃の私は、近場で見ていた大工さんの様々な道具の使い方に見惚れていた。逆に、道具がなければ大工仕事は、成り立たないことを知った。このことが、子ども心に焼き付いていた。
 このことがあって私は、文章の六十(歳)の手習いを発意したおり、さらには定年後を見据えて、わが生涯学習には「語彙の学び」を掲げたのである。すなわちそれは、文章を書くには「語彙」を大工さんの「道具」に準(なぞら)えていたのである。するとこのことは、かなりの成功を収めた。ところが生来、意志薄弱と三日坊主の抱き合わせの悪癖にある私は、途中挫折をこうむったのである。
 このところの私は、両者の祟りに遭って、文章書きには難渋を極めている。挙句、常に頓挫のお怯えに晒されている。ゆえに書き終えると私は、駄文および雑文など一切お構いなく、ホッと吐息している。いや、わが瞬時の安息でもある。きのうの文章には思いがけなく、かつうれしいことには、大沢さまから追っかけの文章が添えられていた。この中の一行を再記すればこうである。「私は本を読むことをあまりしてこなかった」とあった。大沢さまでもこうなのか! 私には驚きと共に、自己癒しが湧いたのである。同時に、大沢さまにさえ悔い心があれば、わが悔い心など、木っ端恥ずかしい思いにとらわれたのである。ところがなんだか、勇気が湧いた。大沢さまからさずかるコメントには、きのうだけではなくいつも、わが文章に勇気づけと綾(あや)をさずかっている。
 十一月十二日(火曜日)。のどかな夜明けが訪れている。きょうの文章は、起き立てに綴った、題無しの番外編である。