秋晴れの下、きのうは共に生きる「わが夫婦の感謝デー」

 11月1日(金曜日)。久しぶりにほぼ定時に目覚め、そのまま起き出して来て、すぐにパソコンを起ち上げている(54:49)。晴れた夜明けが訪れている。きのうの秋晴れをひきついてくれたようである。夜長は日増しに延びて、冬至(12月21日)へ向かっている。旧暦の11月は「霜月」である。この呼称の由来は、文字どおりこのあたりから霜が降りて、いよいよ寒さが増してくるからだという。あれれ? 現在は、霜は降りず、寒さもそう感じない。それもそのはず霜月は、現在の新暦と比べればずれて、ほぼひと月の遅れだという。
 子どもの頃を想起すれば確かに、12月の入り日あたりにあっては、庭先や田んぼの一面には、真っ白く霜が降りていた。つれて、心身共にブルブル震えていた。現在の11月は、まだ何日かは秋晴れを残し、寒気も身に堪えるほどでもない。しかしやがては、11月とて「小春日和」を待ち望むことになる。夜明けの晴れは昼間へ向かうにつれて、どう変化するであろうか。欲張りのわが望むところは、きのうの秋晴れをひきついて、その延長線上にさらなる好天気を願っている。きのうの私は、きょうの天気予報は聞きそびれている。きのうは気象予報士の予報がピッタリと当たり、爽やかな秋晴れに恵まれた。
 さて、きのうのわが家はこれまた予定の行動に違わず、いやそれを超えて完全無欠にそれを為した。予定していた二つの行動を再記すればこうである。一つは、妻の髪カットへのわが引率同行である。そして一つは、それを終えると昼食を挟んで、こののちは妻を誘っての「昼カラオケ」への率先躬行だった。完全無欠と言ったけれど昼食は抜いた。それでも、完全無欠と言いたかったのは、昼カラオケへの行動、そして店内の楽しさが昼食抜きをはるかに超えて、完璧だったからである。
 夜間は生業にスナックを営む「昼カラオケ店」は、私が不断の買い物のおりに、通りすがりに看板を目にしていたところである。ゆえに、一見の飛び入りだった。私はヨロヨロの妻の足取りを気遣っても躊躇せず、「先に入れよ」と言って、怪訝そうな妻の背中を押し入れた。見知らぬ店内には、一人の男性と二人の女性がいた。昼カラオケのご多分にもれず、三人とも高齢者だった。その人たちは、歌は歌っていなかった。私たちはいくらか夜の雰囲気にのまれて、恐々とゆっくり、奥のソファに腰を下ろした。二人のうちひとりの女性は、カウンター内でこしらえ物をされていた。ひとりの男性と女性は止まり木に足を下ろし、カウンターに向かわれていた。まだ歌は流れず、店内はひっそり閑としていた。せっかくきたのにかたわらの妻の表情は、オドオドとして不満そうである。
「早く歌、歌えば。歌いたくないの……」
「うん」
「そうか、それならここは出て、ほかのところへ行ってもいいよ」
「うん」
 私はせっかく入ったのに、これはまずいと思った。
 4、5人連れの高齢女性が入ってきた。馴染みなのであろうか、気おくれすることなく、所定と思われるカウンターに陣取られた。少し経って、こんどは一人で高齢の女性が入られた。これまた馴染みなのか勝手知った如く、私たちの近くに座られた。まだ、歌は一曲も流れない。私はまた妻へ尋ねた。
「歌、早く歌えよ。ここでは歌いたくないの?」
「うん」
 これはまずい。私はやおら立ってカウンターへ近づいて、最初目にした見知らぬ女性にたいし、こうお願いした。
「歌、歌って雰囲気を盛り上げてください。歌好きの妻が『ここは、出よう』」と言っていますから、頼みます、歌、歌ってください」
 私たちの近くに座られた未知の人にたいしても、私はこう言った。
「こちらへ寄ってください。妻は歌好きですから、できたらバンバン歌って、盛り上げてほしいのです」
 するとご婦人はにこやかに近づいてこられて、この後は昔からの馴染のように三人共に、すぐにいっときの仲間になったのである。
 火付け役を思いたった私のエンターテイナーぶりは功を奏してすぐに、最初にお願いした女性を皮切りに、次には妻、次には仲間となった隣の女性、そして連れの女性たちも次々に歌い、切れ目なく歌が流れた。妻は持ち歌の数曲を歌った。やはり、上手い。私はいつものように一曲さえ歌うことなく、みんなの歌にたいし、手叩き屋に甘んじた。
 2時間ほど経って私は、「もう帰ろう」と、妻をけしかけた。妻は不満そうに、「パパ。まだいいわよ」と、首をふるばかりである。この二人のやり取りを見ていたのであろうか、数人が私たちの周りに集まり、「まだ、居てください」などと言って妻に味方して、私たちの引き留めに躍起だった。私は「ありがとうございます。また来ますから、仲良くしてください」と言って、立ち渋る妻を強引に立たせて、秋晴れの下に連れ出した。この店はビル中の最下段にあり、道路続きにあったのである。
 書き殴りは果てなく続きそうで、ここで書き止めである。ゴミ出しの時間が迫り、一度の推敲さえ許されず、ミスに気を揉みながら投稿ボタン羽目になった。きのうに続く秋晴れが、ミスを恐れるわが気分を癒している。