10月の最終日(31日・木曜日)。遅い起き出しを食らって壁時計の針は、すでに夜明けの頃を過ぎて、朝へめぐっている。当たり前だけれど時計の針はこの先、昼間へ向かって時を刻んでゆく。起き出してきたままに、当たり前のことを書きたくなっているのはこのせいである。きのうの気象予報士が、「あしたの昼間は、爽やかな秋晴れになります」と、言ってくださったからである。なんだか自分自身、気恥しくなるような違和感のある「もったいぶった」表現をした。
しかしながらこのときの私は、「言ってくださった」、いやもっと丁寧には、「言っていただいた」のほうががいいかな?……という、心境をたずさえていたのである。今さら言うまでもないことだけれど、こんな心境の発露は、この秋の悪天候続きに嫌気がさしていたからである。それゆえに正直なところ私は、気象予報士の予報(言葉)にたいして、お礼の心をたずさえていたのである。
きのう昼頃(正午)あたりまでは、雨が降っていた。ところが昼過ぎになると、前日の気象予報士の予報に違わず一転直下して、満天、空中、そして地上、隈なく晴れ渡った。するとこれに呼応するかのようにわが気分はパッと明るくなった。それは、このところの悪天候続きで憂鬱気分に陥っていたことによる裏返しだったのである。その証しにはこれまた突然、私はこんな言葉とそれに逆らわない行動を開始した。
似非(えせ)の茶の間で相対していた妻は、痛い腰をさすり、今にも立ち上がらんばかりにびっくり仰天した。
「晴れたね。おれはこれから、大船へ行ってくるよ。買い物がてらに、きょうは気分直しだよ。買いたいものがあれば、後でメールして、もう行くから……心が逸(はや)っているから……」
「これから行くの?……、少し待ってて、わったしも行きたいから……」
「待てないよ。買い物があるならメールして……」
「わたしも行くから、待っててよ!」
「いい天気だから、待てないよ。おまえにはあした、髪カットの予約があるから、あした行けばいいよ。おれも一緒に行くよ。そのとき、このまえ日延べした昼カラオケにも行くよ」
「少し待って、私も行きたいから」
「待てないよ、もう行くから。おまえの支度は、いつも長くなるから……もう行くよ」
「パパは、いつも勝手だから……行くなら、早く行きなさいよ!」
私はすばやく不断の買い物姿に身なりをととのえて、玄関口から門口へ出た。
雨上がりの道路は、輝き始めたばかりの日光に、いまだ露を帯びてキラキラに光っていた。速足で歩き出すと、「確かに、身勝手だったかな?……」と、ちょっぴり自分を責めた。一方では自分を慰めた。
きょうの私には、妻の髪カットへの引率同行、そしてその後には、私には妻が願えば「昼カラオケ」への、こちらは率先同行の心づもりがある。これらの妻へのわが情愛は、あいにくとんだ「罪滅ぼし」に様変わっている。しかし、昼カラオケへの率先同行には、過日、果たせなかった記憶がよみがえり、きょうも一抹の不安に怯(おび)えている。
きょうの妻の髪カットも予約は、妻が一週間の天気予報を鑑みて、雨の予報のないきょうに予約を入れていたのである。予約の日は見事に功を奏して、再び繰り返すと気象予報士は、「あしたの昼間は、爽やかな秋晴れになります」と言ってくれたのである。
予約時間は11時45分。昼間には少し早いけれど、昼食そして昼カラオケの時間などを鑑みて、私はこのあたりを願ったのである。幸いなるかな! 大空の秋晴れは前倒しになり、すでに爽やかに輝いている。罪滅ぼしには絶好の秋晴れである。だけど、やや不安のところもある。その不安を除くためには、妻へのわが情愛と偽りのない実践躬行である。どうかな……?。