11月2日(土曜日)。夜長にあって、気狂いでもしたかのように、早い目覚めと起き出しをこうむっている(3:36)。せっかくの夜長にあっては熟睡、できれば安眠、すなわちダブルの睡眠を貪ればいいのに、それが叶わず大ソンソン(損々)の心境にある。やはり私は愚か者である。しかし、起き立ての気分は良好であり、さらにはいつもであれば襲われる朦朧頭や眠気眼はない。これらはまったく久しぶりに短い時間で深い眠りに陥り、かつまた悪魔に魘されることを免れたためなのかもしれない。もとより、きょうは雨の予報である。
起きてきてパソコンを起ち上げる前に私は、最寄りのカーテンと窓ガラスを開いて、雨模様を確かめた。山の法面に立つ一基の外灯は、淡く道路を照らしていた。すでに道路は濡れて、小降りの雨がチラチラしていた。雨の予報は、早い降り出しだった。私は気象予報士が伝える雨の予報にたいしお門違いに、気象予報士にたいしてかなり腹を立てていた。それはわが心中にこんな、二つの悔い心を浮かべていたからである。一つは(たった二日ほどで、もう秋晴れを断つのか)。一つは(きのうは3時間半ほどをかけて丹念に、山の側壁、その下の側溝などからすべての草を抜き取り、道路および周辺をきれいにしたばかりなのに……)という、無念の思いだったからである。半面、悔い心へのわずかな慰めは、これまた気象予報士が伝える予報だった。それには、こんな予報は加わっていたのである。雨はきょう一日限りで、三連休にあってあすの「文化の日」(11月3日・日曜日)、そして翌日の「振替休日」(11月4日・月曜日)にあっては、好天気になるという。私にとってこの予報は、大いなる救い(僥倖)だった。なぜなら私は、日本列島の南あたりでさ迷っている、台風21号の「雨降らし」を懸念していたのである。
あすにはわがテレビ観戦を構えている、「男子、全国大学駅伝」がある。現在開催中のプロ野球の日本シリーズ、すなわち横浜ベイスターズ対福岡ソフトバンク戦は、球場を再び福岡から横浜へ戻して、きょうあすに最後の決戦(あと、1あるいは2試合)が予定されている。「文化の日」前後は、気象(庁)データ的に晴れの日が多いという。そのため、この日あたりを狙ってなのか? この前後には高校や大学では、文化祭あるいは大学祭の盛りにある。あいにくきょうは雨だけれど、幸いにもあすとあさっては晴れの予報にある。こんな好季節、なかんずく三連休にあって、雨続きは真っ平御免蒙りたいものである。なんだかくだらないことを書いて、なおこの先を書けばいっそうくだらくなりそうである。だから、ここで心して結文とするものである。
この文章とは結びつかないけれど、書き添えて置きたいものがある。それはこれである。高橋弘樹様からはいつもの「大、大、大エール」に加えて、きのうはテレビ番組の「録画取り」へのアドバイスをいただいた。高橋様のエールとアドバイスには、常々、感謝しきりである。録画取りに関して、あえてわが家の事情を書き添えればこうである。録画機能は妻の独占状態にあり、わが好む番組が入り込む余地(隙)はまったくない。実際には妻が好む、歌と料理番組の録画ばかりが詰まり、いつも余りはまったくない。妻の場合は、すでに観た番組さえ消さず、残しぱなっしである。外出がままならず、かつまたテレビ視聴は、妻の唯一の愉しみでもある。だから私は、これには逆らえず、いや老いてこんなことで口喧嘩をするのは野暮天でもある。だから私は、録画取り機能のすべては妻へ譲っている。高橋様の貴重なアドバイスへの御礼を兼ねて、わが家の貧弱な事情(テレビは一台しかない)書き添えるものである。高橋様には失礼窮まりなく、伏してかたじけなく思うところである。
夜明けはまだお訪れないけれど、たぶん雨の夜明けであろう。きょう限り、一日じゅうの雨は、もとより我慢のしどころである。