番外編、『美しき天然』、歌詞に魅せられて

 貧乏造りのわが家には、茶の間と呼べる洒落た部屋はない。私は腹立ちまぎれに、そして嘘っぱちに、「ここ」を茶の間と呼んでいる。ここは六畳の畳み敷で、窓際にはテレビを一台置いている。そのほか隅には、大きな茶箪笥を一基据えている。だからもうここは、物置みたいに手狭である。それなのに中ほどには、妻と私が相対で座るソファを対向に置いている。その間には、食事用のちゃちなテーブルを置いている。ここが茶の間らしいのは、テレビと寛ぐソファがあるからである。
 テレビチャンネルの主導権は妻の手にある。それがときどきわが手に戻るのは、プロ野球をはじめとするスポーツのテレビ観戦のおりだけである。それでもテレビ自体は、私も妻の視聴に合わせてよく観る。しかしながらその観方は、どうでもいいほどに気のない観方である。
 妻は料理番組と歌番組(歌謡曲主体)をよく観る。私の場合、料理番組はその多さに辟易し、煩わしくてあまり観ない。しかし歌番組は、歌好きの妻に同調してよく観る。
 先日のテレビには、初めて聴き入る歌が流れた。不断の私には天変地異の恐ろしさは別にして、「自然(界)賛歌」旺盛のところがある。このこともあって流れて来たこの曲(歌詞)には虚を突かれ、度肝を抜かれた思いだった。いつもであれば歌詞をコピーして、簡便にこの文章に張り付ける。ところがコピー禁止なのか、それができない。仕方なく私はスマホを手にして、困難を極めて下に書き移したのである。実際のところはそうまでしても私は、自然界賛歌を謳うこの歌(歌詞)にほれぼれしたのである。挙句、「ひぐらしの記」への転載を決めたのである。
 この歌の由来は、スマホにはこう記されている。「美しき天然」は、佐世保女学校の教材として作られた曲です。中間省略。「美しき天然」は、武島羽衣の作詞、田中穂積の作曲、日高哲栄の編曲による楽曲で、チンドンのメロディーでおなじみです。明治35年(1902年)に発表され、最初のワルツと言われています。私立佐世保女学校の音楽教師でもあった田中は、烏帽子岳や弓張岳からの九十九島や佐世保湾など、佐世保の山河の美しい風景に感動し、これを芸術化し世に広めたいと考えていた。そこで、折よく入手した武島羽衣の詩に作曲し、本曲は誕生した。
 私の追記:この歌『美しい天然』はこんにちまで、島倉千代子にかぎらずいろんな歌手が歌い、また合唱曲としていろんな人たちに歌われて、こんにちまで歌い継がれている。大沢さまにはご面倒をおかけするけれど、「ひぐらしの記」に残して置きたい歌である。なぜなら、日本の四季の情景をまさしく「美しき天然」と伝えて、詩情豊かに歌われているからである。そして私が、歌唱のなかでもとりわけ、歌詞の見事さに驚いているためである。
 『美しき天然』「作詞:武島羽衣 作曲:田中穂積 編曲:宮川泰 歌:島倉千代子 発売日:1997、05、21」
 わが数の少ない、持ち歌の一つに加わりそうである。
1)空にさえずる鳥の声  峯より落つる滝の音
  大波小波鞳鞳と    響き絶えせぬ海の音
  聞けや人々面白き   此の天然の音楽を
  調べ自在に弾き給う  神の御手の尊しや
2)春は桜のあや衣    秋は紅葉の唐錦
  夏は涼しき月の絹   冬は真白き雪の布
  見よや人々美しき   この天然の織物を
  手際見事に織りたもう 神のたくみの尊しや
3)うす墨ひける四方の山 くれない匂う横がすみ
  海辺はるかにうち続く 青松白砂の美しさ
  見よや人々たぐいなき この天然のうつしえを
  筆も及ばずかきたもう 神の力の尊しや
4)朝に起る雲の殿    夕べにかかる虹の橋
  晴れたる空を見渡せば 青天井に似たるかな
  仰げば人々珍しき   此の天然の建築を
  かく広大にたてたもう 神の御業の尊しや