番傘

 私には文才がない。文才があればこれしきの文章に、三つ重ねの同義語すなわち呻吟、苦衷、苦悶を強いられることはない。人生の終末にあってまでつきまとう、わが能無しにはつくづく腹が立ち、かつまた残念無念である。
 私は二度寝にありつけないままに、長い時間寝床に寝そべっていた。それには絶えず輾転反側(てんてんはんそく)が付き纏(まと)い、そのたびに寝つけない苦しさが弥増(いやま)した。仕方なく二度寝は諦めて、ならばと覚悟を決めて、仰向けになり寝そべりを正した。すると、数々の「思い出」が浮かんだ。試しに思い出に変えて、「想起」を用いた。おのずから、よみがえる心象風景は異なった。
 思い出には懐かしさや愛(いと)おしさがつのり、いやこれらを超えてずばり、楽しかったことやうれしかったことなどがよみがえった。一方逆に、想起には悲しかったことやつらかったことなどが、これまたかぎりなく浮かんできた。心象には摩訶不思議なところがあり、一つの言葉の違いで、よみがえる風景は様変わる。私は寝そべりながら、一つの懐かしい思い出に耽っていた。
 子どもの頃のわが家には、今様の雨除けの布傘やビニール傘、さらには日除けのパラソルなどはなかった。わが家に常置していた傘は、手に重たい番傘一辺倒だった。番傘は茶色の太身(ふとみ)で、開ければバリバリと音がして、かすかに油のにおいを残していた。手に持つ長柄(ながえ)は、武骨な竹づくりだった。今思えば、油傘(あぶらがさ)と言ったほうが妥当なのかもかもしれない。なぜ? 番傘と言うのであろうか。机上に置く電子辞書を開いた。説明書きはこうである。「竹骨に紙を張り油をひいた、粗末な雨傘」。わが問いには答えのない、ぶっきらぼうの説明書きである。だからこの文章を閉じれば私は、インターネットの人様の知恵にすがり、「番」の由来を学ぶつもりつもりでいる。
 番傘は厚手の紙に塗りたくった油が、雨をはじくのであろうか。村中の富貴な家にあっては、上等で洒落た「蛇の目傘」があったかもしれないけれど、わが家にはそれはなかった。雨の日に自転車の片手ハンドルで、町の高校へ登校するときもまた、重たい番傘一辺倒だった。番傘につきまとう思い出は、このことこそイの一番である。すなわちそれは学童の頃にあって、突然の雨の降り出しに遭って、番傘につきまとう母の優しさである。番傘を持たずに登校した後で雨が降り出すと、廊下の隅にちらちらする母の姿が現れた。教室の中から後ろ向きに眺めると、母は声なく手にした番傘を音なく揺らした。それは(番傘を持ってきたよ)の合図で、置き場所はいつものところとわかっていた。ぼくが阿吽(あうん)の呼吸で母の姿を目に留めると、母は用を足して姿を消していた。
 わが家と学校の間は歩いて、片道二十分を超えるほどの道のりである。雨の降り出しに驚いて母は、速足で番傘を持って来たのである。突然降り出した雨の日に、廊下の隅に現れた母の姿は、今なお心中にしょっちゅうよみがえる佳い思い出である。言葉を想起に変えれば、これまたわが心中にしょっちゅうよみがえるのは、唯一の弟をわが「へま」で亡くしたおりの悲しい全光景である。こんな「思い出」と「想起」を抱き込んで、10月19日(土曜日)の朝が訪れている。大空は夜明けの雨模様を断って、満天日本晴れに変わっている。
 文才なく苦しんで書いた文章は、ようやく幼稚な作文を為して、終えたのである。題のつけようはなく、まだ浮かんでこない。こののち「番」の由来をネットの記事にすがるから、「番傘」でいいのかもしれない。