寝起きに文章を書く習性にある私は、常にネタ不足に悩まされている。ところがこの二日(おととい、きのう)にあってはネタに恵まれて、『河口湖』および『続河口湖』の表題で、かなり長い文章を書いた。文章の出来はともかくネタに恵まれて、ネタ不足に呻吟することは免れた。そのためか気分が小躍りして、長文にありついた。しかしながら書いた文章を読み直すと、せっかくの格好のネタなのに、もっと上手(うま)い書きようがあるのかなと、ちょっぴり悔いた。ところが悔やんでもどうにもならない、わが脳力(能力)の限界の証しである。しかし一方、確かにネタに恵まれて書く文章は、書きながら自分自身、心地良い気分に浸れるところはある。いつもこの気分に遭遇するためにはやはり、ネタの大切が身に沁みた。そしてネタを得るには、ネタ探しの行動の必要性、大切さ、重要性をあらためて悟った。これこそ著名な作家になぞらえれば、たっぷりと時間をかけて、かつ用意周到の取材活動である。もちろん、六十(歳)の手習い、かつ浅学非才のわが身には叶わぬ願望にすぎない。
きょう(10月18日・金曜日)もまたネタ無しである。それゆえにこの先を書けば、いつものように呻吟を免れない。挙句、駄文を綴り、しかたなく結文へ逃げることとなる。
現下の日本社会の世相にあっては、衆議院解散にともなう総選挙(選挙戦)の最中にある。過日(10月15日)に立候補者の公示始まり日があり、現在は来る投開票日(10月27日、日曜日)に向けて、選挙戦は渦中にある。期日前投票は始まり、すでに投票を終えた人もいる。ネタないゆえにきょうの私は、この選挙(戦)において怪訝(けげん)に思っていることを書き添える。
今回の総選挙において、各党がほぼ一様に掲げる公約の一つは「政治改革」である。そしてこれは、総じて最大の目玉公約を成している。しかしながらこれは、わが下種の勘繰りをすれば、政治を司(つかさど)る人たちの公約にしては、腹の立つみすぼらしいものと言える。なぜならこんなことは各党そろって、不断に身を正して置けば済むことである。だから、こんなことが公約の最上位を成すことには腹が立つし、かぎりなく馬鹿げている。大事な選挙にあってはやはり、日本の国の舵取りに見合う公約を各党並べて、最上位に掲げるべきであろう。こう考えれば、自分たちの不断の「へま」を国民に泣きついて正す選挙戦は、選挙権を有する国民にとっては、甚(はなは)だ不毛の選挙戦と言える。総選挙は極めて大切ゆえに、私は進んで清き一票を投ずるべきだけれど、候補者の「驕りや飯の種」の助成に、投票所へ行かねばならないことでは、気分は殺がれるばかりである。
長々と書いたけれど、『河口湖』続いて『続河口湖』を書いた気分とは、まったく異質の遣る瀬無い気分で、結文を迎えている。「政治改革」くらいは国民に頼らず、様々なお金にありつける自分たちで、正してほしいと願うところである。日本の国を司ろうとする立候補者は、いっときの嘘っぱちの涙雨を流して、大事な一票に託する国民に媚びて、挙句に欺(あざむ)いてはならない。
夜明けいや朝の大空は曇り、こちらこそ今にも、涙雨を落としそうである。