気分の重たい、歯医者通い

8月23日(金曜日)。時は進んでも夜長傾向にあっては、未だ夜明け前にある(4:58)。雨は降ってなくて、晴れあるいは曇り空の夜明けになりそうである。就寝中には悪夢に魘されて、まったく気分すぐれない起き出しを被っている。さらにきょうの行動予定には、いっそう気分の重たい歯医者への通院がある。悪夢による気分の落ち込みは、時間が経てばおのずからいつの間にか遠ざかる。ところが歯医者通いのもたらす気分の落ち込みはそうはいかず、期限なくエンドレスを被る場合がある。あるとき、私は上前歯の一つの欠落に見舞われた。しかしながらそののち、私は歯医者へ通院することなく長い間、その部分をほったらかしにしていたのである。それには、こんな馬鹿げた理由をめぐらしていたからである。一つは、欠落部分はぽっかり空いたままでも痛みがないことで、まるで餓鬼(子どもの頃)のように歯医者通いを拗(す)ねていたのである。そして一つは、わが余命をめぐらしてもはや、その部分の処置はしなくても痛みがないせいで、命の最期へたどり着きそうに思えていたからである。すなわち私は、前歯の処置と余命を天秤に、ほったらかしにしたままでも痛みなく、持ちこたえられそうに思っていたのである。そうこうしているうちに検診案内から、かなり日が過ぎていた。そしてやっと、通院を決意したのである。だから、きょうの通院には主治医の気分を損ねている予感が横溢し、挙句、今も通院を恐れる気分が満タンである。確かに、自分自身が決意した通院とはいえ、それでもきょうは、かぎりなく気分の重たい日である。なんだか現在の私は、「痛い、痛い」と、泣き叫んでいた子どもの頃の心境にある。夜明けて、初秋の朝日はのどかに輝いている。私は自然界の恵みすがり、重たい気分を少しだけ和らげている。