重宝している三つの人工補助器具

7月26日(金曜日)。薄っすらと夏の朝が明け始めている。開いた窓ガラスから吹き込む風は、早や秋風と言っていいくらい、冷えてさわやかである。夏の朝の快さは、自然界の恵みの上位に位置している。これに反して自然界の脅威と言えば、きのうのテレビニュースは、山形県と秋田県における、ある地域の大雨による洪水被害(災害)状況を映していた。また、テレビ画面の上部には、群馬県では雷、茨城県では竜巻、そして千葉県では、地震にかかわるテロップ流れていた。全国的には、熱中症への警戒警報報道の盛りにある。夏至(6月21日)から一か月余りが過ぎて、見た目また体感的にも夜明けが遅く、夕暮れが早くなっている。季節はすんなりと巡っている。ままならないのは、わが生き様である。起きて、ネタ探しにあぐねて私は、こんなことを浮かべていた。そして、何でも書いていいから書いて、文章の頓挫を免れようと決意する。現在、私は、人工の器官補助器具として、三つ(三か所)さずかっている。すなわち、目にはメガネ、歯には入れ歯、耳には補聴器である。これが一番、それが二番、あれが三番などと、優位差などつけようなく、どれもが一番である。もちろん、どれもがきわめて有効であり、これらが無くては、わが人生の愉しみは無に等しいほどに、減殺(げんさい)されるものばかりである。人間すなわち、他人様(ひとさま)の知恵にさずかり、わが人生は無類の愉しみにあずかっている。だから、ときにはこんなことを書いて、人間の知恵を崇めることは、まんざら馬鹿げたことではないであろう。私の場合、ビールをはじめとするアルコール類は、年じゅう一切無用である。ところが先日、妻のこの言葉に応じて付け足しに、朝日の生ビール缶一本を買って来た。「パパ。エダマメ、食べたいね。茹でた、冷凍の物、買って来てよ」「食べたいなら、買ってくるよ」エダマメとビールは、赤飯とごま塩みたいに、対(つい)をなす飲食物である。好物ではないとはいえビールは、流れるごとく喉を通過した。ところが、前歯の一本が欠けたままにほったらかしにしているせいで、小粒とはいえエダマメは、喉を通すのに往生したのである。すると、このとき感じたのは、入れ歯の効用だった。いよいよきょうあたりから、「パリオリンピック」のテレビ観戦が始まる。だけど、メガネそして補聴器がなくては、ゴキブリのテレビ観戦みたいなもので、暗闇でゴソゴソするばかりである。ネタ無しの文章は自分自身面白味がなく、これでおしまいである。遅出の朝日が輝き始めている。