通院代わりの「昼カラオケ」

7月27日(土曜日)。このところ雨の無い夏の朝が続いている。夏風邪ならぬ、夜明けの夏風は爽やかである。おかげで、気分良く起き出している。ところがネタなく、文章はようやくネタを拾って、書き殴りで様にならない。恥を晒してやっとこさ、戯れの文章を書いている。こんなことでは、継続文の足しにはなりそうにない。きのうは何年かぶりに初見のスナックが営む「昼カラオケ」へ、妻を引率同行した。炎天下、歩いては立ち止まり、また歩いた。大船(鎌倉市)の昼中、かなり長い距離をかなりの時間をかけて、あちこち一見のスナックを探し歩いた。途中には一度、違うスナックのドアを開けるへまをしでかした。目当てにするスナックの名は、妻頼りだった。この日の妻は、カラオケ仲間のご婦人(91歳)との出会いだった。カラオケ仲間と言っても、もう何年もご無沙汰であり、この間に互いに年齢を重ねていた(妻は、9月で81歳)。私たちは数あるスナックの中から、目当ての店を探しあぐねていた。スナックばかりが入っている一棟建てビルの中に、目当てのスナック名を探し当てたのは妻だった。エレベーターで二階へ上がり、昼とはいえ異質の雰囲気を保つ、飲み屋(スナック)の重たいドアを押した。ドアを中から開いた店主(中年の女性経営者)と、妻が言葉を交わし、私たちは明かりの灯る、それでも暗い店内に招じ入れた。妻が出会う人は、すでに店内に居られたのである。このスナックは、その人の馴染みであり、週に何度か通われているという。私は初対面の挨拶を交わすと、妻とご婦人が並ぶところからは離れて、独り隅の方に着座した。カウンターには二人の高齢の男性が座り、ひとりがマイク片手に歌っていた。私は無理して瓶入りのノンアルコール一本を注文した。しばらくするとそれに、手作りのお通し(摘まみ)が添えられて、運ばれてきた(帰りの支払いは1600円)。カウンターの男性たちは、交互に切れ目なく歌われていた。しばらくするとご婦人が歌われた。年齢そちのけに美声である。いつも私の役割は、見知らぬ人の歌お構いなしに、そして上手下手にかかわらず、「手たたき」である。二人の男性、そしてご婦人は馴染みの店らしく、自分の名入りのウイスキーボトルを前に置かれていた。妻は『悲しい酒』など、何曲かを歌った。スナックで聞く妻の歌は、何十年ぶりかもしれない。やはり妻は、特等に歌が上手い。カウンターの男性はその都度、手を叩いて振り返り妻を見遣った。上手の合図のしるしである。2時間ほどいたけれど、私は1曲さえ歌わず、手たたき屋に徹した。それは、歌が下手だからである。一方、妻褒めを許していただければ、これまで私が聴いた素人の歌の中では、やはり妻が一番上手いと、この日も確信したのである。「わたしたち、5時までいるわ」。私は買い物を理由に4時頃店を出た。妻は6時半頃にわが家へ帰って来た。開口一番私は、「やはり、おまえは上手いなあ…」と、言った。妻は満面に喜びの表情を浮かべて、「パパも上手いんだから、歌いなさいよ。歌っていた男性より、パパがはるかに上手じゃないの」。昼間の炎天の夏は、穏やかに和んで夕暮れた。