7月23日(火曜日)。きのうに続いて悪夢に魘されず、いまだ暗い夜明け前に目覚めて、起き出して来てパソコンへ向かっている。そしてこれまた、きのう同様に心地良い夏の朝風を吹き込むために、きょうは全方位の窓ガラスを開いた。すると、思いがけなく自然界が恵む、胸の透く情景に出遭った。夜の静寂(しじま)の西空に、ぽっかりと明るく、満月が浮かんでいた。私は、愉快、痛快な気分に囚われた。同時に、独り占めではもったいない気分になった。足音を忍び階下へ向かい、引き戸の隙間から茶の間を覗いた。妻は起きて、テレビを観ていた。就寝時の私は、補聴器を外している。ゆえに、テレビの音、妻の動作音など、まったく聞こえてこない。茶の間へ近づいて、妻へ呼びかけた。「起きていたのか。お月さんがとても綺麗だから、呼びに来たよ」。なんだかしゃべっているけれど、妻の声はまったく聞えない。ところが、妻は笑顔を湛え、折り返す私の後ろについて、階段を上ってきた。こののちはしばし、肩を触れあっての月見を堪能した。思いがけない満月が恵んだ、地上のわが家のパラダイスだった。きのうは独り善がりにだらだらと長い文章を書いた。恐れていたとおり案の定、掲示板上のカウント数はガタ減りだった。もちろん、「草臥れ儲け」と、嘯(うそぶ)くことはできない。疲れて、懲り懲りになっただけである。ゆえにきょうは短く、ここで結文とするものである。デジタル時刻は、未だ4:40である。薄く夜が明け始めている。道路の掃除へ向かうにはまだ早い。だから、パソコンを閉じてもう一度、西空を眺めてみる。お月さんは西の方へ去っているかな…、あるいは雲隠れしているかもしれない。それでも委細構わず、私はしばし窓際に佇むつもりである。もとよりこの行為は、束の間の家庭平和を恵んでくれた御礼返しである。