ゴールデンウイークのブービーを彩るような、朝日輝く夜明けが訪れている。「山は緑」、居りっか住まいでは飽き足らず、どこかへ飛び出し(旅)たくなっている。5月5日(日曜日)、カレンダーには、「こどもの日」と「立夏」が併記されている。幾星霜、年齢を重ねた私には、前者より後者のほうがいたく身に沁みる。それは、歳月の流れの速さを感じているからである。(もう、初夏なのか!)。胸の鼓動は、切なく時を刻んでいる。
年老いた私にとっては、もはや現下のこどもの日の感慨は何もない。まして、愉しみごとなど、あるはずもない。ゆえにこどもの日の記憶は、はるかな過去、すなわちわが子どもの頃の風景と、母の日常へ遡る。風景では初夏の青空の下、村中のあちこちで竹竿高く、吹き流しが掲げられていた。吹き流しには二様があり、大きな鯉のぼりと、並んで布製の「やばた」が、文字どおり翩翻と翻っていた。吹き流しにまつわる歳時(記)など知る由ない、子どものわが目にもそれは、五月(さつき)の空に見る絵になる風景だった。
もう一つの確かな記憶では、母が為すこんな光景がよみがえる。子どもの日の前後の母は、「やばた祝い」と言っては、まるで盆・暮れの檀家回りの坊さんのように、あちこちへいそいそと出かけていた。お祝いのしるしはなんだったのか? それは知らずじまいだけれど、たぶん手作りの団子か赤飯、あるいは牡丹餅だったのかもしれない。
わが子どもの頃は、村中のあちこちで子どもが生まれていた。わが家にあって、「雛祭り」(女児誕生のお祝い)、「端午の節句」(男児誕生のお祝い)の務めは、母の役割だった。どちらにも母は、気が揉めて、せわしない日常を強いられていた。それでも、祝いごとゆえに母は、いっさい愚痴ることなく、準備に勤しみ、勇んで出かけていた。母恋慕情つのり、懐かしくよみがえる過去の「こどもの日」の思い出である。朝日は極上の「キラキラ照り」を恵んでいる。