「休日病」とわが命

 きのうの「こどもの日」にかかわる、「振替休日」(5月6日・月曜日)の夜明けが訪れている。人々の楽しみ多い、ゴールデンウイークのしんがりを飾るにふさわしい、晴れの夜明けである。しかし享楽の後には、楽しくない「ツケ」けがある。一つは、行楽帰りの海、陸、空における、交通機関の混雑や渋滞である。一つは、思いがけない金銭の多消失である。そして、もっとも憂いとつらさをともなうものは、狭義で月曜病とも言われる、広義の「休日病」である。
 ゴールデンウイーク明けとなればまさしく、休日病が適当である。この病は、明日あたりから享楽のしっぺ返しとして、それにありついた人々を襲ってくる。ゴールデンウイークにあずかれなかった私だけど、人様の休日病をあざ笑うほどの愚か者ではない。いや、現役時代の罹患がよみがえり、心底より同情心がつのっている。病巣や病根のない「五月病」とは異なり、ゴールデンウイーク明けの休日病には、享楽という確かな証しがある。だから、それを知って得た享楽は、もとより休日病をはるかに超える快楽だったはずである。だったらわが同情心は、お邪魔虫なのであろう。
 さて、起き立てに書く文章にあって私は、いつも「ネタがない、ネタがない」と、嘆いている。ところが、きょうはネタがある。いやいや、こんなネタなど、ないほうが身のためである。きのうの夕方にあって私は、一分弱にわたり、命の絶えに怯えた。私は茶の間のソファに背もたれていた。妻はトイレに長居して、近くには居なかった。突然、変な気分に襲われた。精神は異常状態に陥った。(なんだろう……)、ひどく慄いた。静かに、収まりを待った。ところが、気分のわるさと精神状態の異常は、いっそう弥増して来る。精神はさらに怯える。それに、嫌な現象はともなってきた。吐き気、目がくらみ始める。精神は、正常状態から離れてゆく。(この先、どうなるのか……)。妻を呼びたいけれど、立ち上がる気分は喪失している。じっと、この状態の収まりを待った。実際には短い闘いだったけれど、長く恐ろしい闘いだった。わが診断は、脳溢血や心筋梗塞の前駆症状だったのか。これまで未体験の恐ろしい実体験だった。(わが命は長くない)。ゴールデンウイーク中にあらためて知り得た、わが命の限界模様だったのである。命の絶え時の恐ろしさに比べれば、休日病などお茶の子さいさいの戯れである。