3月21日(木曜日)。きのうの「春分の日」(春彼岸の中日)が過ぎて、いよいよ季節は春本番へ突入する。寝起きの気温はいくらか低く、そのぶん寒気がわが身に堪えている。しかしながら、春彼岸相当の気温なのであろう。望むところはこの先、寒の戻りはたまたぶり返しのない日が少ないことである。なぜならこの先、とりわけ桜の季節にあってもほぼ例年、真冬並みの寒気に見舞われる。だけど季節は嘘をつかず、きのうの春分の日にはこれまでの寒気を撥ね退けて、暖かい日光が降りそそいだ。
私は朝の9時近くになると、「S院」へ電話をかけた。当院の診察券には、「休日そして祝日」は、休診日と記載されている。それなのに私は、祝日のこの日、通院を思い立っていた。この思いの発端は、先日の通院のおりの主治医先生のお言葉だった。「祝日でもわたしは居ますから、都合がよければ来てください。祝日は患者さんが少なくて、いいですよ」。おそおそる電話をかけた先方の受話器のお声は、思いがけなく先生だった。
「きょうは祝日で、休診日と思っていますが、お電話をしました」
「わたし、居ますから来てください」
「ありがとうございます。何時頃まで、いいでしょうか?」
「いつもの診察時間に居ます」
私は受話器を置くと、出かける準備にとりかかり、まもなく門口を出た。案の定、休診日の待合室にはまったく患者の姿はなく、休診日の医院特有に当医院全体がひっそり閑としていた。遠くに眺める診察室のドアは開いていて、中に白衣姿の先生が見えた。先生もまた、私に気づかれた。私は死刑台へ向かう死刑囚の面持ちで、待合室の中央へ歩を進めた。普段、受付の窓口にはお顔馴染みの中年女性が二人そろって待機されている。すると、それらの人たちの姿はなく、私には戸惑いが走った。ところが、まもなく窓口に先生がお見えになった。私は半ば呆気にとられて、
「受付、先生がされるのでしょうか?」
「私がやりますよ」
この後は、普段どおりに健康保険証と診察券を呈示して、先生の所作で受付が完了した。すぐに先生は診察室へ戻られて、遠くから「前田さん」と呼ばれた。いつもであれば補聴器を嵌めているとはいえ、聞き取りにくい遠くからの声である。ところが、人気のない待合室へはすんなりと届き、わが耳へ到達した。私は待合室に出向き、神妙にドアを開けて患者となり、再び先生と対面した。丁寧に挨拶言葉を告げると、早速、気に懸けていたことを言った。
「先生。きょうは謝りにまいりました。先日は体の部位の痛みは、服用中の薬の副作用でしょうか? と、言いましたけれど、それらのほかに私は、市販の便秘薬を服んでいます。そのことを言いそびれていたことを謝りにまいりました。痛みは、その薬の副作用かな? とも思ったのです」
ところが先生は委細構わず、先日の採血結果を示す紙片を手にして、データの一つ一つの項目の説明を始められた。私は前かがみになりデータを覗いて、神妙に聞き耳を立てた。服用中の薬は二通り、一つは腎不全改善、一つは悪玉コレステロール退治薬である。すると、前者には微効を示し、後者には著効を示して双方共に、先生は「問題ありません」という、言葉を添えられた。それらのほか数ある項目には、基準値を超える(異状を示す)米印(※)はなく、私は満点の通知表を見る思いだった。
いよいよ、副作用にかかわる最後通牒が下った。
「コレステロールと市販の薬は、当分、服むのを止めてください。腎不全の薬は服み続けてください」
「わかりました。休診日なのに、ありがとうございました」
私は待合室に戻った。あれれ! 白衣でない私服姿のお顔馴染みのいつもの女性係員のひとりが窓口に現れた。私にのために、休みにもかかわらず応援の呼び出しを受けられたのであろう。私は「お休みなのに、すみませんね」と言って、診察後の所定の動作を済ました。女性は「前田さん。なんだか元気がないようですね」。副作用の主因にはそのときもまだ、腎不全の薬では? と疑い、私は怪訝(けげん)な面持ちだった。たぶんこのことが表情となり、元気がないように見えたのかもしれない。
きのうから私は、先生の指示に従ってコレステロールと市販の薬の服用は止めている。それでも現在はまだ、体の痛みは続いている。服用中止後、何日目で痛みが止まるか? なお疑心暗鬼にさらされている。
きょうもまた長々と、無用の書き殴りをしてしまい、詫びるところである。夜明けてみれば、満天のどかな朝ぼらけである。苦悩まじりに書いたけれど、価値ない私信、読んでくださる人はいないかもしれない。