3月6日(水曜日)、わが身体は寒さでブルブル震えている。いまだ夜明けまでは遠く、夜の佇まいにある(3:52)。部屋の中は夜の静寂(しじま)とは言えない。なぜなら、戸袋の雨戸は風の音で、頻りに打ち鳴らされている。雨戸を閉めていない前面の窓ガラスには雨垂れが、無数の筋を引いて滂沱のごとく流れ落ちている。窓ガラスを開いて、外の様子を確かめるまでもなく、風雨強い大嵐である。酷(ひど)い寒気に見舞われて、老いの身は甚(いた)く堪(こた)えている。身体を震わしてまで書く文章でもない。長居は無用である。だから、このことだけを書いて、早々に退散を決め込んでいる。
きのうの文章は表題に『啓蟄』と記して、春本番の訪れを書いた。実際には啓蟄にともなってズバリ、地中の虫たちの蠢(うごめ)き出しのことを書いた。ところが、きのうは気象予報士の予報が当たり、日本全国津々浦々にあっては、雨、風、雪、加えて寒気がそろう悪天候に見舞われた。わが恐れていた寒の戻り、寒のぶり返しを用いて、挙句、真冬並みの寒さだった。啓蟄にあって春は、季節狂いを演じたのである。そして、季節狂いはきのうで打ち止めとはならず、きょうの現在まで持ち越している。季節は春、とりわけ啓蟄に背いて、とんでもない仕打ちを続行中である。それゆえに、きのう使ったフレーズをきょうも使って、この文章は書き止めである。
「季節は嘘つき!」、重ねて「春はごまかし!」。地中の虫たちの地上への這い出しは、余儀なく日延べを食らっている。私もまた、もうしばらく「冬ごもり」を食らっている。春の悪戯(いたずら)とは言えない、「春は悪魔」である。