2月24日(土曜日)、夜明けまではまだ遠い3:42、パソコンを起ち上げて眺めた時刻である。起き出してくると私は、雨戸開けっ放しの前面の窓ガラス際に佇み、一基の外灯が灯る道路を見た。雨は降りやんで、雨の跡は薄れて、かなり乾きはじめていた。しかしながら現在、寒気は取り残されて、わが身体はブルブルと震えている。一方、精神は破れたゴム風船のごとくに、ペシャンコになっている。
2月の末近くにあって、このところのような天候不順は、わが記憶にない。換言すればたぶん、初体験である。とりわけきのうは、一日じゅう小雨まじりの酷い寒気に見舞われた。据え置き型のガスストーブは、熱気を飛ばし続けていた。しかし私は、茶の間のソファに背もたれて、これまた一日じゅう身を竦(すく)めていた。窓ガラスを通して眺めていた外の様子は、小雨が降り続ける寒々しい風景だった。この風景がわが身を竦め、縮(ちぢ)こませていたのである。現在の寒気は、きのうの延長線上にある。寒気に慄いて、駄文を綴る価値(甲斐)があるであろうかと、自問を試みる。答えは、綴る価値は無さそうである。そうであればこのところ書き続けていた「卓球・世界選手権団体戦」(韓国・釜山)における、いまだ途中結果のことを記して、再び布団の中へ潜ることにしたのである。
日本の男子チームは、「パリ、オリンピック」の代表権を得たのちの宿敵・中国戦において敗れて、すでにトーナメント戦から姿を消して、メダルには届かずじまいである。一方、女子チームは、きのうの準決勝戦の対香港戦に勝利し、きょうの決勝戦へ進み、銀メダル以上を確定した。決勝戦の相手チームは、戦前から闘争心を剥き出しにしてきているこれまた中国である。日本の男女チームは共に、中国チームを倒すことを宿願にしてきた。なぜなら中国は、長年揺ぎ無い卓球王国である。それゆえに日本チームは男女共に、中国に勝たなければ世界制覇、すなわち頂上にはありつけない宿命にある。手許の電子辞書を開いた。「宿願:年来の願い。宿命:前世から定まっている運命」。わかりきっているこんな言葉はどうでもいい。卓球においては男女チームを通して、中国に勝つことはもはや日本国民の宿願でもある。いやいつかは、宿命と言える日が訪れるであろうか。あえなく、男子チームはすでに敗れた。ところが、女子チームはきょうの決勝戦へ勝ち進み、念願の中国チームと相まみれる幸運にありついている。
日本のサッカーの代表チームは「なでしこ」であり、すると卓球の場合は、「なでしこ娘」でいいだろう。そして、今夜の私はテレビ観戦(声援)を通して、なでしこ娘の健闘に釘付けとなる。まさしく熱闘、熱々(アツアツ)に恵まれて、寒気が遠のくこと請け合いである。あすも、卓球のことを書きそうである。
きょうのわが夫婦には、卓球クラブの練習へ行く予定がある。しかし、あいにくの雨降りと寒気に出遭えば、茶の間のソファに背もたれて、「冬ごもり」を続けることとなる。あな! 恨めしや。