「冬の出口、春の入り口のさ迷い」、わがさ迷い

2月21日(水曜日)。パソコンを起ち上げて、心中にはこんな思いをたずさえている。文章書き、まったく素人の私には、烏滸(おこ)がましい思いである。恥を晒しても、忍んで記してみる。文章の出来不出来を起因するものはこうである。先ずはテーマ、すなわち題材、内容、私がよく使うズバリ、「ネタ」の良し悪しである。次には、ネタにそう文意(筋立て)の巧拙である。最後は、筋立てに見合う適語(語彙)選びである。私の場合、文章を書くたびに、この流れに苦悶と呻吟を被っている。これまでは書くまでもない、寝起きの戯言(たわごと)である。さて、きのうから一気に気温が高くなり、昼間の買い物にあっては、身体のあちこちが汗ばんだ。(しまった! 三枚重ねの着衣を、一枚脱いで来ればよかった)。後悔、先に立たず。私は、心中にこんな悔いごとを浮かべていた。街中の中年女性のひとりは、スケスケにも見える肌着のような長袖一枚を身に着けて、大らかに闊歩していた。きのうは春姿というより夏姿さえ、まったく異常に感じられないほどの気温の高さとポカポカ陽気だった。夜明け前にあって気温が高く、わが身体はまったく寒気を感じない。ところが、きのうの気象予報士は、この先にはまだ気温の低い寒気が訪れと告げた。だとしたらきのうの高気温は、「冬の出口、春の入り口のさ迷い」であろうか。つれて、わが身体もまたさ迷っている。私はこの二日、引用文にすがった。いや、助けられた。どちらも、現在行われている「卓球、世界選手権団体戦」(韓国・釜山)に絡む記事からの引用だった。引用を試みた趣意はこうである。おとといの引用文では、完封(11-0)にまつわる、暗黙のルールの存在における、喧々諤々の賛否両論をのぞいた。1点ぐらい、わざと負けてやるのが相手に対する優しさであろう。いや、共に真剣勝負の試合だから、わざと負けるのは相手にたいし失礼であろう。私の場合は、後者の意見に賛成である。きのうの引用文には、ふたつのわが思いがあった。対戦相手のブラジルチームの3人編成は、日系人姉妹選手そして隻腕(片腕)の選手だった。それゆえに私には、どちらにも応援したくなる心情が沸き立っていたのである。とりわけ、片腕の選手の健闘・奮戦ぶりとこれまでの努力には、称えて咽(むせ)ぶものがあった。どちらも、気に留めた引用文だった。なんら、繋がりのないきょうの文章はここでおしまいである。文章に四苦八苦するは、わが生来の「身から出た錆」である。幸いなるかな! 気温高く、現在の私には、寒気に対する嘆きはない。